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よくあるご質問

竜馬暗殺

毛利家文書によると、京都の近江屋に於いて竜馬と中岡慎太郎が会談中、刺客3人が二人を暗殺した時の状況が、生き残って二日後に死んだ中岡の話したこととして、経緯が生々しく綴られている。
それによると、夜9時ごろ十津川の者と偽って3人が訪れ、竜馬の従者藤吉が受付けて、二階の部屋に知らせに行こうとした時、刺客は続いて上がってきて藤吉を斬り斃し、部屋に踏み込んでいきなり中岡に斬りつけた。
中岡はとっさの事で刀を抜く暇もなく短刀で応戦したが、頭を切られた。
同時に竜馬ももう一人に切りかかられ、竜馬は肩を切られながら床の刀を取って、抜く暇もなく鞘のままで応戦した。
鞘のままではとても相手に打撃を与えることは出来ず、竜馬の相手の刺客は中岡の所に駆け寄って、中岡の肩から肋骨を切り下げた。そのため中岡は声も出せず手も動かず、死んだ如くであったので、3人で竜馬に掛った。そして竜馬は頭を斬られ倒れた。賊はもう良いと言って引上げようとした時、一人は止めを刺すべきだと言って倒れている竜馬の両足を、力任せに切り下げてから3人は立ち去った。
これを何もなすすべなく歯噛みをしながら中岡は見ている外はなっかった。
その内に中岡はやや元気を回復し、這いながら2階の窓から瓦屋根へ出たが、悪寒戦慄して進むことが出来ず、声も出ず伏していたが耐えがたかった。・・・以下断欠

此処で竜馬は即死の如く思われていたようだが、これを読むと鞘付き刀で相当奮戦した様だ。

竜馬は船中八策の後、新政府綱領八策を作るなど、武士階級は一夜にしてその権力を失うこととなる、大変なことを考えていたのだから、各方面からマークされていた筈であり、後から考えると、この慶応3年11月15日の竜馬たちの備えには問題があったように思える。

暗殺の実行犯は京都見回り組の者が自白しているが、果たしてその黒幕は誰であろうか。
自白した見回り組の今井信郎は釈放されて、村長を務めたそうで、自供したのも、周囲の状況にそれを肯定する雰囲気があったのではないか。
黒幕は幕府、土佐藩、薩摩藩その他色々取りざたされているが、誰であってもおかしくない状況ではあった。
このことは、船中八策や新政府綱領八策が竜馬の建言であることが、その後少しも評価されていないことにもクエスチョンマークをつけたい所である。

カテゴリ:ニュース・その他

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