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よくあるご質問

嗚呼、哀悼。いたわしき大田皇女!…素浪人の『万葉集漫談』(番外編)

・ ももづたふ 磐余(イワレ)の池に 鳴く鴨を
   今日のみ見てや 雲隠りなむ  巻三・416 大津皇子

大意・ ああ、こうして磐余の池に、元気に泳ぐ鴨の姿を見るのも今日が最後か。明日は死んでいかねばならぬ。

解説・ 686年の翌10月3日に処刑された大津皇子。
そしてその姉、大伯皇女の弟への悲歌を、この『万葉集』漫談シリーズで書いたのは、随分古い記憶となりました。

今、「その墓かもしれぬ」と新聞・TVで騒がれている大田皇女は他でもなくこの皇女、皇子の二人の母親なのです。
661年、百済救援をと九州へ向かう斉明天皇(女帝・大田皇女の祖母)に同行途中、大田皇女は備前国大伯で大伯皇女(姉)、翌翌年、博多港で弟の大津皇子を生んだのです。

大田皇女のご主人は大海人皇子(後の天武天皇)です。身重の身で一緒の船で九州へ向かっていたのですね。

大田皇女の御父上は大海人皇子の兄、天智天皇。
万葉時代から政略結婚が露骨に行われ、文武に勝れて人望の高い弟、天武天皇(大海人皇子)の心を把握するため、天智天皇は自分の皇女4人(大田,讃良(のちの持統天皇)、大江、新田部)を妃として弟、天武天皇に嫁がせたのです。

大田皇女が早逝し、天武天皇の皇后には妹の讃良が昇格、夫天武天皇亡きあとは持統天皇として即位。
持統は我が子草壁皇子の皇位継承には、武勇に勝れ、豪族間や女性に人気高く評判の良い甥の大津皇子が何とも邪魔。これを処刑にしたという次第です。

発掘されたお墓が大田皇女のものとすれば、臨月にも近い身重の身で、軍船に揺られ苦労しながら、旅先で生んだ二人の姉弟のわが子たちを思い、その悲劇を、その御霊はいかに悲しまれたことでしょう…。

年代を追って『万葉集』を読む漫談シリーズのため、時代を遡って(番外編)とした次第。

・ 二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を
            いかに君が 一人超ゆらむ 
       巻二・106 大伯皇女(おおくのひめみこ)

大意・解説 「二人連れで超えるのにも寂しい秋山を、弟はいま、一人でどのようにして、超えているのでしょう…」伊勢神宮の斎宮だった皇女は、訪ねてきてくれた弟が都へ帰るのを不吉な予感を持ち複雑な気持ちで見送ったようです。

カテゴリ:ニュース・その他

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