趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

書棚に本を、と思うのは

伊集院静著『美の旅人フランス編 ?・?』小学館文庫、読了。
 作家としての著者の取材態度は、この本にも反映されている。つまり旅を始める前に簡単なフランスの歴史年表を作り、その上に世界史を加えて画家の置かれていた環境を表わし、これに美術史を加えて画家の生存年表を横線に並べていく。これだけならよく他の歴史書においてもよく出会う。さらに思想家・哲学者・音楽家・詩人・文学者などを加えていくと、17世紀前半以降では、表現する人々が互いに無関係に作製しているのではないということが浮かび上がってくる。それらのことを通して画家の人となりとその作品、他者との関わりでどんなことがあったのかが語られている。
 美術書としてカラーの美しさの点で、よく出来ている本だ。
 著者は少年の時、卒業文集に将来の夢を書くように言われて画家になりたいと書いていた。原っぱで野球に明け暮れていた少年がそう書いたのは、母の希望でもあったからという。
 お母さんは瀬戸内の防府市から、美術展があるその開催地へよく連れて行ってくれたという。「今考えると、母は画家という仕事がどんなものであるかよくわかっていなかったのだと思う」と著者はいうが、こんな素敵な本を著す人となったのだから、それはお母さんに感謝すべきなのだと思う。
 2冊の本で取り上げられているのは、アングル、ジェリコーからロマン派の巨匠ドラクロア、コロー、そして印象派の多彩な面々と、クールベ、セザンヌ、ルノアール、ピカソ、シャガール、マチスなどなど。旅行で心して訪れた美術館で見た絵が満載であった。
 初期印象派の画家たちの多くは、新興市民(ブルジョア)の子弟であった。マネは役人の子、ドガは銀行家の子、モネは食料品店の子、ルノアールは仕立屋、ピサロは不動産屋、セザンヌは帽子職人から実業家になった家の子である。ロートレックやバジールのように貴族の出というのは稀だ。
 画家はもともと画工と呼ばれて、大工、左官、鍛冶屋といった職人のジャンルであり、画家と呼ばれるようになったのはイタリア・ルネサンス以降のことである。ヨーロッパ絵画の始まりは王、貴族、教会のためのものであったから、それが大衆のものとなってはじめて近代絵画のスタートとなる。
 ピカソが10代のとき、父ドン・ホセ・ルイスが我が子の絵を見て、画家への執着を断念し、自分は美術学校の教師の道に徹したという。そのような家庭環境にあって、ずば抜けた天才のエピソードを残しているピカソ。
 これにやや近いのが、画家として優れた才能をもっていた母のシュザンヌ・ヴァラドンから、無理やり絵筆を持たせられたユトリロ。飲酒癖が昂じて精神病院に監禁され、母と医者が相談して気晴らしのために絵を描くことを薦めて、それによって素晴らしい才能が開花し、後世に名を残すことになった。(これは下記の本に書いてあったこと)
 定価770円で、こんな印刷の美しい絵と伊集院さんの絵画の旅と文章が楽しめる。
 高校を卒業した年に、社会思想社の現代教養文庫『近代世界美術全集』の?、「近代絵画の先駆者たち」という280円の文庫本を求めた。30頁ほどのカラー絵と、あとは白黒の絵画が載った坂崎乙郎、高階秀爾、中山公男という先生方が責任編集という、むしろ読ませる美術文庫本であった。
 全12巻のうち半分が書棚にあるが、現在はもっと印刷の鮮明な豪華な本を持っていても、この本には愛着があってとても捨てられない。当時、コーヒー一杯が80円くらいだったろうか。その時々の「想い」を懐かしむよすがとしても本は買い、持ち続けたいと思っているので溜まる一方だ。
 先日、もう35歳になった長男はじめ3人の子どもたちに読んでやった稲田浩二・和子編著『日本昔話百選』三省堂、を孫に読んでやった。「鳥呑爺」の「あやちゅうちゅう、こやちゅうちゅう、にしきさらさら、ごよのさかずき、もってまいろか、びびらびん」と何度も鳥の鳴く話を、孫はきゃあ、きゃあ言いながら喜んでいた。(福井県小浜市の話だそう)
 私の好きな画家、シスレーとピサロ(一番好きな絵ではないが)。札幌は今、シスレーのような雪が積もっている。

カテゴリ:ニュース・その他

コメント

コメントはログインすると見られるようになります。