「やくざ」?いえ「侠客」です。

清水の次郎長のお墓を訪問しました。

清水の次郎長と言えば、幕末から明治にかけて、その暴れん坊ぶりは全国にその名を馳せた大親分です。
その武勇伝は多くの人に語り継がれてきました。
しかし、所詮大悪党?の次郎長親分がこれだけ語り継がれるのは、彼の晩年の生きざまです。

明治元年、咸臨丸が清水港で沈没し、次郎長は浮遊する屍を拾い集め、手厚く葬ました。幕臣の山岡鉄舟はその人柄に惚れ、以後も親交を深めました。
明治8年、鉄舟の勧めで富士の裾野の開墾に着手、また英語教師を招いて若者の英語教育を始めました。

大親分として恐れられた次郎長ですが、後半の人生は人を愛し