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よくあるご質問

呑兵衛爺の暮れ暮れ草(5) ある訃報

毎朝、新聞を開くと必ず見る欄の一つに葬祭業者が掲載する訃報がある。年齢90歳以上の方はとても少ない。無い時も在るが、あっても一週間で2〜3名である。90歳以上の長寿者はそれほど多くないと言う事である。今まで週単位で掲載して来た日記をもっと気軽に読んでもらいたい意向で12月17日から日刊の「暮れ暮れ草」を開始したのであるが、私が書くとどうも内容がドシンと重くなってしまうようで、私の年齢の数が上乗せされるのか、それとも変えられない性分のなす業であるのかわからない。12月21日の中日新聞夕刊の三面記事の載る下のほうに公職などに付かれた名士の方達の訃報が掲載されている。其処には工藤昭雄氏死亡の記事が掲載されていた。

工藤 昭雄氏(くどう・あきお=東京都立大名誉教授、英文学)17日午前0時51分、肺炎のため東京都文京区の病院で死去、80歳。青森県出身。自宅は東京都世田谷区代田5の35の29。葬儀・告別式は24日午前10時から東京都渋谷区西原2の42の1、代々幡斎場で。喪主は妻博子(ひろこ)さん。  ノーベル文学賞作家V・S・ナイポール氏の作品の翻訳などを手掛けた。とある。
先生は大学1年2年の私が受講した英語購読の授業を受け持たれた恩師である。当時先生はまだ独身で東京の目白駅近くの一角に下宿されていた。私もその近くの寄宿舎から大学に通っていた。私が大学で直接教えを受けた老教授はすでに幽冥界にお隠れになっており、工藤先生は漱石の時代に出てくるような書生風の実直な人で、夏など浴衣姿で散歩されている姿を見かけたこともある。当時は数歳上の私の兄貴分のような感じさえ受けた。訃報で見ると8歳年上である。今から50年、半世紀も前の事であるから、細かく記憶はしていないが、「グッドバイベルリン」と言うイギリスの作家の小説をテキストに使用していた。卒業後は再会の機会はなかったけれど、先生の印象は心に焼き付いている。今から思うと工藤先生は私の在学する大学ではどうも非常勤の講師であったらしい。大学生の授業で2〜30人以上の先生に会っているのに工藤先生が強く印象に残っているのは不思議である。
私自身も高齢であるので身近な訃報に接すると何がしかの心の動揺を避ける事はできない。私もいずれは先生のようにお迎えを受け容れる時季が来るであろう。それまでは出来ることに最善を尽くす努力を続けて行きたい。工藤先生が死ぬまで続けて来たように・・・

冬の酌白杜の詩仙炉端来て

カテゴリ:日常・住まい

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