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よくあるご質問

西洋文化と音楽=中

普遍的 価値と思える 真善美
 悲しからずや 常ならずとは

★『西洋文化と音楽=中』(ポール・ヘンリー・ラング/酒井淳他監訳)を読みました。
※バロックからモーツァルトの時代までのことが書かれています。

《17世紀に於いては神の権威によらずして何事もなされず、語られず、書かれず、印刷出版されなかったのであるが、今やあらゆる宗教的派閥は各自の神を持つようになった》

《清教徒たちは自らを神の選民であると考え、原住民を自分たちの教会へ導くことには元来関心を持っていなかった。彼らはインディアンを旧約聖書のカナーン人と見て彼らに“神の家”を汚される事を嫌ったのである。これと同じ厳しい、想像力に乏しい精神が教会から音楽を排除しようとした。多くの人が詩篇の旋律は神の啓示によるものでないから歌ってはならないものだと信じていた》

《器楽の大きな前進が作曲家の権威を回復し、歌手の独占度を減少させた。イタリアだけは相変わらずプリマ・ドンナやプリモ・ウオモを偏愛し、カストラートの芸術がさすがにイタリアでも下り坂になるのは、この風俗の奇怪さを皆が痛感し始めてからである。取って代わったのはファルセット歌手である》

《ハプスブルク家の宮廷…贅沢な、好みのうるさい宮廷生活、建物、庭園、オペラ、バレー(ママ)に費やされた財貨は人民の生存した精神的真空地帯と凄まじいコントラストをなしている。宮廷の大きな催しは、当時どの宮廷でもそうだったが、人民の側に芸術的、精神的関心を喚起することなど計算に入れたものではない。それはただ、支配者の欲望を満たしその家の名誉を高くするためだけだった》

《昔の百科事典は全巻通読されることを意図していた。それというのも、執筆者たちはまだ、あらゆる知識を与えようと努力していたからである。それ以上にディドローとその仲間は読者にある哲学的考え方と世界観を与えようとしたのである。…その各ページと、その執筆者たちが1789年の主要な原因の1つであったということはやはり事実である》

《芸術や文学の理想は文明の盛衰と運命を共にするものである。古代に於いてはそれは美であり、中世では善であり、啓蒙思想の時代には真理がそれであった。それが旗印であった。しかし、その真理崇拝もまた間もなく放棄される。真理はそれを見る角度が違えばその姿が変わるものだと分かって、人々が幻滅を感じた為である。善もまたもう役に立たなかった。善が多くは隠された動機を秘めていることを啓蒙思想が証明してしまったからである。人々はそこで古典古代の美の理想に帰っていったのである》

《サリエリは有能だったが、モーツァルト毒殺の疑いで責められている。これはカンベールを殺したと言い立てられたリュリの場合と同様、証拠立てられ得ないものである。しかし彼がオーストリア人作曲家の成功を悪意を持って妨害したことは確かである。彼の敏感な職業音楽家意識がモーツァルトを専ら敵視させたのである。モーツァルトの悲しむべき運命は少なからずこのイタリア人の陰謀によるものである》

《ドイツ人は一般にチェンバロで指揮するというイタリア人の例にしたがっていた。…オーケストラからチェンバロを排除し、指揮用譜面台の前に立つなり腰掛けるなりして指揮をした最初のひとりがライヒャルトである》
※僕が持っているモーツァルトの交響曲全集には、オリジナルな演奏をということでチェンバロが入っているんですが、室内楽を聞いている錯覚になったりします。

〜〜〜〜〜〜22日のジョグデータ〜〜〜〜〜〜
29分18秒/八国山麓5km/BMI:140/bpm:23.9/
靴:ボンビート(★★★★)
※冬至。日没は、一番早かった日と比べると、もう5分も遅くなっているんですね。吾妻橋袂のサザンカが咲いていました。ジョギングの発着地点のツバキの花は、その名の通り沢山椿事していました。ツバキの花は、メシベだけを残し、花弁全部とオシベが一体となって落ちるんですね。ツバキとサザンカの見分けは難しいのですが、この事を知っていれば、簡単に見分けられますね。ツバキは花弁とオシベがくっついていて、サザンカの方は離れています。

※マルセル・ダディ/ラ・マセラーズ/ロス・インディオス・タバハラス、を聞きつつ(オリジナルコンビではなく、兄夫婦コンビ。夫人はミチコ)

コメント

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