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よくあるご質問

物部(軽矢と穴穂矢)

木梨ノ軽の皇子と穴穂皇子が皇位を争った時、軽の皇子は銅の鏃を着けた軽矢(カルヤ)を作り、穴穂皇子は穴穂矢を作って対抗したとの話がある。
穴穂矢は今時之矢(イマノヤ)とも言われ、軽矢が四世紀ごろ最も盛んに用いられたのに対し、穴穂矢と呼ばれる長頚鉄族の矢は、五世紀中ごろから奈良時代までの主流を占めることになった。
結局穴穂皇子はこの戦いに勝利し、石上に穴穂宮を建て、即位して安康天皇となった。
つまり、銅より鉄の鏃の方が武器として強力であることを示しているわけである。
武器としては鉄が有力であっても、祭器呪器としての銅は健在だったと思われ、鉄の鍛冶師、銅の鍛冶師が別個に、或いは融合共存して、それらの部族が「物部連」によって統括され、所謂物部氏としての体裁が整えられていったのではないかと思われる。
従って、大伴氏と同じく、物部氏は職掌集団を一括し、一言で言い表す言葉であり、本来の氏族の意味とは異なるものであろう。

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