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よくあるご質問

くつろぐ絵・懐かしき画家 向井潤吉 呑兵衛爺の暮れ暮れ草(18)

絵を描くことから観賞する側に回ってから、早60年の月日が経過している。これまで西欧のいろいろの流派,印象派を含めて、画集や展覧会などで数多くの画家たちと出会いを持ってきたが、最近は自国への回帰がなせる業か、昔風の日本的な古民家を描く向井潤吉の画集を一年ほど前一冊購入した。
中学生の当時、描く色彩は緑系が好きな色の一つであったが、高齢の現在では天空の空の色、雲も含めて紺系と白系が景色や絵画を鑑賞する時の私のポイントの一つとなっている。
絵画で人物や静物なども観賞するが私の対象は風景画である。何故か大自然が私の心を捉えるのである。向井潤吉は1901年京都で生まれ、1995年東京で亡くなる。

向井は昭和36年6月「民家に異常な熱意と興味を持ったのは、戦争のさ中、爆撃のために伝来の民家が、脆くも消滅したり、疎開の犠牲で惜しまれながらも姿を消して行くのをラジオで聞いたり、新聞で知ったからであり、(中略)もう一つの理由は、写実から出発し、そしてそれを研究信奉してきた私にとって(民家)という画材は甚だ格好のものであり、そして感性が鈍く、おまけに旅好きという条件には、最も適した、うってつけの仕事だったのである。」(以下略)と自ら述べているように古い民家を写生する旅が続くのであるが、絵画の完成後、古民家が取り壊されて残された民家の姿は、向井の写生絵画のみの建物は数多いといわれる。戦前から戦後にかけて活躍、40年以上に渡り北海道から鹿児島までを旅し、生涯古い民家の絵を描き続け「民家の向井」と呼ばれた洋画家であった。

私は古民家と言うか、かやぶき屋根の民家に終戦中、母親と愛知県海部郡の親戚の田舎に疎開をして住んだ経験が一年ほど在る。その田舎の小学校に入学して、半年ほど経過の後、8月15日に敗戦となり9月には名古屋の実家に戻っている。

潤吉は全国を巡り古い藁葺き屋根の家屋を描き続けた。種々の資料や潤吉自身の言葉から推定すると描き残した民家は1000軒を超え、油彩による民家作品は2000点にも及ぶとされる。1959年(昭和34年)から1988年(昭和63年)までに描いた1074点の製作記録が残っており、これによると、制作場所は埼玉県が約32%、長野県が約19%、京都府が13%と大きな偏りがあり、近畿以西は旅で訪れてはいても作品は極めて少ない。一年の内の製作時期は、2月から4月が一つのピークで、ついで10月から12月が多く、逆に8月は非常に少ない。この理由として向井は「民家を描くためには、繁茂した木や草が邪魔になるからであるとともに、緑という色彩が自ら不得手だと知っているからでもある」と述べている。

私の購入した画集は80数枚の民家が描かれているが、テーマが民家なので樹木が生い茂った時期には画面の大半が緑で覆われてしまうために、その時期を避けたのであろうと思う。私は向井の描く時期の選択は間違っていないと思う。「故郷の廃家」のように民謡や昔懐かしい唱や詩にあるように古里の民家を描いているのだ。
私が観賞のポイントにしている空に関しての記述は残念ながら、まだ見出してはいないが、作品の空の描景はほとんど一様ではない。一面の青空もあれば白い綿雲が浮かんでいる構図もある。テーマが古民家なのであるから、空の領域が全体の一割から三割ぐらいの占有面積ながら、空はあくまでも脇役の存在でなければならない。しかし空は大自然の一部であり、人間もその大きな自然のほんの一部を占める存在でもあるのである。私が空を愛好するようになったのもその自然観に心惹かれるように変わって行ったからかもしれない。


京まではまだ半空や雪の雲   芭蕉
(きょうまでは まだなかぞらや ゆきのくも)

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