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よくあるご質問

北斎と広重の浮世絵版画 呑兵衛爺の暮れ暮れ草(21)

江戸時代というのは歴史の流れで見ると、幕府をひらいた1603年ごろから大政奉還の1869年の約260年間のかくも長い期間継続しただけに、天明の飢饉や江戸打ちこわしなど、田沼意次の藩政改革と財政再建など社会制度上でも大ゆれの現象が発生しており、しかも江戸時代は士農工商という明確な身分制度の格差が歴然としており、人々は それぞれの身分にそって生活をすることになっていた。 当然、文化も身分によって異なる文化を育んでいった。 工−職人、商−商人の二つの身分の町人が江戸文化を育てた部分も多大であった。木版技術の進展により、当時の世の中をありのままに描いた浮世草子という小説のジャンルが流行った。井原西鶴が描くのは、身分差別によって苦しむ人間が主人公であったり、生き生きした町人の姿 などであった。
東海道という五街道の1つを旅する弥二さん喜多さん、二人の人物を中心に、コメディタッチで描いた作品を十返舎一九が書く『東海道中膝栗毛』などがよく読まれた。従来の5・7・5・7・7の短歌よりももっと短い、5・7・5の17音のみで構成される俳諧(俳 句の基礎)を、松尾芭蕉が完成させた。芭蕉は諸国を歩き回り、自然の美しさを俳諧 で表わした紀行文である『奥の細道』を書いた。

室町時代に完成された能楽は、武士のみが行うのに対して、一方、町人たちの間で、 別に成立した舞台演劇が歌舞伎だった。近松門左衛門により広められる事となる。
木版画は本の挿絵(さしえ)に使用されたが、単独で一枚の浮世絵として、1枚の絵として売り出だされた。その売り出しを始めたのは菱川師宣であった。浮世絵の豪華なものは錦絵であり、しかも多色刷りのものである。
東海道での旅の風景を描いた浮世絵安藤広重(歌川広重)の 『東海道五十三次』や葛飾北斎の全国から見た各地の富士山をテーマにした浮世絵『富嶽三十六景』などがよく知られている。

浮世絵というのは江戸時代に定着し始めた用語で、井原西鶴の「浮世草子」の物語スタイルと共に広がったと思われる。かつて浮世は憂世と中世以前の厭世的な人生観によれば、浄土での成仏が願われる来世に対して、近世に入って、つかの間の仮の世ならば、浮き浮き、気楽に暮らそうと憂世から浮世へ、現世の世相や風俗を肯定的に評価されるように移り変わって来た。浮世絵師たちは時代の先端を行く風俗や話題に、旺盛な好奇心を抱き、それらに敏感に反応して、一方表現方法においても新鮮な趣向、新奇な描法を積極的に心がけた。
浮世絵は美術と同時にその時代の新鮮な断面を切り取って伝える情報提供の役割も果たして来た。しかし浮世と言う語は享楽的な人生観を背景に好色な淫風が漂う現実こそ浮世絵の世界に最もふさわしい物でもあった。
身分格差の甚だしい時代にしかも封建君主の下で自由に言論批判が許されない環境の下で、歌舞伎や文楽、浮世草紙、浮世絵、俳諧、華道 ・茶道その他いろいろの素晴らしい文化が開花したことは現代、平成の世の中から振り返って考えてみると驚嘆すべき江戸時代ということになるのではないか。
当時の浮世絵世界では写楽・歌麿・北斎・広重が四天王として著名であるが、私個人は広重・北斎が好みである。広重の雪・雨・風・月・・・朝霧・夜のとばり・夕暮れ・晴れなどが版画の主テーマとなっており、広重は「ヒロシゲブルー」などで西欧のゴッホ・モネ・マネ・ドガなに多大な影響を及ぼしているといわれている。

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浮世絵の絹地ぬけくる朧月  泉鏡花

カテゴリ:アート・文化

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