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よくあるご質問

「着衣のマハ」「裸のマハ」

堀田善衞著『ゴヤ ?,巨人の影に』集英社文庫。
 三巻目は、ナポレオンの侵入によってスペインは無政府状態の混乱に陥り、民衆はゲリラ作戦(スペイン語guerrilla ・ guerra「戦争」+縮小辞-illaで「小さな戦争」)で抵抗運動をしたが悲劇的な結末をもたらす。ゴヤはその血みどろの戦争の宿命的結果を版画集「戦争の惨禍」として新境地を開くが、この時期のスペイン情勢を映し出している。
 それまで宮廷画家として多数肖像画を描いているが、興の乗らない男性画は駄作ばかりで、没落貴族や旧家から買い集められたものがアメリカに9割方存在しているという。
 しかし女性像には傑作が多く、「イサベラ・デ・ポルセール」や最も有名な「着衣のマハ」・「裸のマハ」がある。そのモデルが誰かということが論議の的となり、昔からアルバ公爵夫人という説が最有力で、旧東ドイツとソ連の合作映画もそれを踏襲しているのだと。
 アルバ家の後裔にしてみればまことに迷惑な話で、子女の縁談に差し障ることにもなり、アルバ家は1945年、意を決してマリア・テレーサのお棺を開けてミイラになった遺骸を計測したという。曖昧な結果しか得られなかったが、足が二本とも折れていた。ナポレオン軍の兵が墓を暴き、金飾りを掠奪したときのものであった。
 マハの二枚の絵は二枚重ねて一対とし、開き扉かカーテンを引き上げると、まず着衣のマハが出、次いで、絵の傍らのボタン、あるいは何らかのハンドルで操作をすると今度は裸のマハが現われるという仕掛けになっていたという。これと同じ仕掛け絵が他にもあったことが確認されているので間違いはなさそうだ。では誰がこの絵を注文し、それを見せてもらえる特権的な、特別な内輪の人は誰か。そもそも特殊装置を備え付けられる邸宅を持てる人、見せてもらえる人はスペイン社会における最高の地位の人ということになり、注文主自体、相当以上の好き者でなければならぬことになる。
 当時スペインに隠然と権限のあった異端審問所から、本人自身と画家の双方を守りきれる人でなければならない。とすると結論は、青年宰相にして同時に、上は王妃から下は総理大臣私室に寵を求めて訪れてくる庶民の娘に至るまでを相手にし得る、好色にして精力に満ちたマヌエル・ゴドイ以外にありえない。
 ゴドイは25歳で宰相となって以来16年間、全く仕事をせずに任せきっていたカルロス四世に代わり、スペインの独裁者としてあった。しかし彼は民衆に憎まれながらもスペインを愛し、スペイン古来の習慣や伝統、仕切りを理解して徐々に近代化を目指し、ペスタロッチの教育法も取り入れていた。
 著者は、マハはそのゴドイの妾の「ぺビータ・ツドォ」と思われると結論付けている。
 ナポレオンはカルロス四世と王妃、独裁者のゴドイ、そして皇太子フェルナンドをフランスのバイヨンヌに呼びつけて幽閉し、ナポレオンの兄ジョセフ・ボナパルト(因みにイタリア語でbuona parteとは“よき分け前”の意だとか)がホセ一世として統治する。
 幽閉後は王や王妃らは15億フランの年金を与えられて優雅な生活を保障されていたが、スペインの富を貪ったナポレオンにしてみれば、その経費は微々たるものであった。
 この頃ゴヤは、アリアーサの詩「一人の巨人がスペインの守護神となって民衆を救う」という趣旨に沿って、想いを込めて「巨人」という絵を描いていた。
 イベリア半島は英仏の代理戦争の場であった。ナポレオンはポルトガルをイギリス艦隊から断ち切るためにスペインを同盟国に引きずり込んだことで、スペイン独立をうたう民衆とのゲリラ戦の深みにはまる。双方に大きな犠牲者を出しながら、1809年、イギリスのウェリントンがポルトガルに上陸し、スペインのタラベータで英仏軍が衝突。一進一退を繰り返しながら1812年ウェリントンがマドリードに入城する。ナポレオンはロシア戦線にあった。
 ナポレオンにおべっかを使うだけのフェルナンド7世は、ナポレオンの姪を嫁にくれとせがんでパリの女優三人をあてがわれ、そのフェルナンドはゲリラを一斉検挙し、迫害し殺害したことから、ゴヤはスペイン人の愚昧さ、人間の醜悪さをカプリッチョ(風刺画)として残した。
 ところで、例のゴドイ一族がスペインに残して没収された財産の中に「マハ像」があり、他に妾のぺビータの所有していた金塊1トン以上、宮殿の庭に埋めてあった6つの箱に金塊、金貨、宝石等があり、ゴドイが密かに持ち出した現金33100万レアール(約8025万ドル)と宝石類があった。
 ゴヤはウェリントンの肖像画も描いている。

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