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よくあるご質問

なぜモナ・リザに眉毛がないのか

堀田善衞著『美しきもの見し人』新潮文庫、堀田善衞続きで27年前に求めた本を取り出した。つまみ読みしかしていなかったので、今回やっと読了。
 本のタイトルは、ドイツの詩人アウグスト・フォン・プラーテンの「トリスタン」という詩の冒頭句を、生田春月が訳したものだということが150頁ほど進んで明かされる。

美はしきもの見し人は、
はや死の手にぞわたされつ、
世のいそしみにかなはねば、
されど死を見てふるふべし
美はしきもの見し人は。

愛の痛みは果てもなし
この世におもひをかなへんと
望むはひとり痴者ぞかし、
美の矢にあたりしその人に
愛の痛みは果てもなし。

げに泉のごとも涸れ果てん、
ひと息毎に毒を吸ひ
ひと花毎に死を嗅がむ、
美はしきもの見し人は、
げに泉のごとも涸れはてん。

 ドイツ浪漫派、あるいは頽唐派の代表的な詩人の句を取り出したのは、この詩にふさわしい短命の画家、愛の島、ヴィナスの島であるシテール島の画家であるアントアーヌ・ワットオの絵について書くときに思い立ったのだという。
 この本の21編の文章は、『藝術生活』に連載されたものだそうで、その序に「柄にもないということばを絵に描いたような、まったく柄にもない美術についての私的な感想を書いて行くについて、私の努力は、なるべく努力しない、勉強をしない、ということに注がれることになる。」と、できるだけ己が自然に感じたままに、いかなる巨匠の圧倒的な傑作と世に称されるものであろうと、それが自分の自然にとって滑稽と思われたら、そのように書いた、と断わっている。
 しかし、もともと好きでどうしても見たいという強烈な欲を燃やしながら各地を巡っていれば、知識や、作品がその土地に在る事情などは自から集まり附着して来るものだと、串田孫一氏が解説でフォローしている。
 取り上げられているのは、アルハンブラ宮殿、ガウディの聖家族聖堂、北京の天壇、黙示録、ワットオ、ヴェラスケス、楽園追放、クロード・ロラン、クラナッハ、グリュネヴァルト、セザンヌ、ラ・トゥール、モナ・リザ、ゴヤ、受胎告知など。
 これを書くために勉強したのではなく、既にある蓄積されたものを書き連らね、感じたことをそのまま綴ったにしても、何と凄いことかと思う。
 「なぜモナ・リザに眉毛がないのか」。モデルであったといわれるジォコンダのモナ・リザあるいはフランカヴィラ公爵夫人コンスタンス・ダヴァロスという女性に、もともと眉毛がなかったのか、それとも芸術的理由か、はたまた美容風俗上の理由なのか。スタンダールも「おかしなことに、モナ・リザには眉毛がない」と書いているという。
 著者の曾お婆さんは歯をおはぐろにし、眉毛を剃っていたが・・」しかし、著者にも解らないと記す。
 「肖像画について」では、ジョンソン大統領が自分の肖像画を描かせ、出来上がったのを一目見て、「こんな醜いもの、見たことがない!」と言ったという。肖像画の似ている、似ていないは何に似ていることなのか。
 「各人が内的に自分であるとしているものに似ていること、ありたいと思い込んでいるおのれの顔かたちについての、イデーに見合うように自分で編集しているのだという。そこでは画家とモデルの内的焔が地獄的なまでの、相互の緊張、摩擦、あるいは尊敬、愛、憧憬、軽蔑、憎悪といったもろもろのもの、対話と弁証法そのものが肖像画である」というのだ。
 《ゴヤの傑作「カルロス四世一族図」の13人の人物のうち、幼児を除いてどれ一人として友人として、あるいは愛人として欲しい男も女もいはしない。どいつもこいつも、人類のハキ溜メへ放り込んでしかるべき面構えしかしていない。けれども、さもあらばあれ、この王族一家は、自分たちがふさわしい威を帯びて描かれている。》
 肖像画は19世紀以降、それまでのパターンから離れていよいよ写真に近くなる。
 写真は、ワットオ「シテールへの旅立ち」、ラ・トゥール「指物細工師聖ヨセフ」

カテゴリ:ニュース・その他

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