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よくあるご質問

「ヌチ(命)どぅ宝」

札幌藻岩山の裾野の小高い住宅地に「奥井理(おくいみがく)ギャラリー」がある。
 昨日、ここで催されたウェールズ弦楽四重奏団の演奏会に行ってきた。桐朋学園の学生によって2006年に結成されたクァルテットで、2008年にはミュンヘン国際音楽コンクールで3位入賞。その後2人メンバーの入れ替えはあるが1986〜89年生まれの若き演奏家たち。
 現在、スイスのバーゼルでハーゲン弦楽四重奏団のライナー・シュミット教授に師事して研鑽を積んでいる。 
 この日はベートーベンの弦楽四重奏曲の第2番と第15番、現代作曲家のリゲティの第1番というハードなプログラミングも若さの成せることかもしれない。
 演奏も若々しい熱演でとてもよかった。

 会場となった奥井ギャラリーは、オーナーのご子息の理さんが、絵を描いて美大を目指していた95年7月、東京立川市で交通事故に遭って19歳の短い生涯を閉じたことから、ご両親は残された作品を公開して理さんの思いが人に伝えられる場所を作りたい、そこで息子との対話がしたいという想いで誕生したものであった。
 このギャラリーでは定期的にコンサートが開催されているが、元・日フィルのフルート首席奏者であった現北海道教育大学・阿部博光教授がアドバイザーとして、若手音楽家の育成支援と発表の場となっている。今回もその一環。

 いつも叔母からチケットがプレゼントされる。叔父は積丹半島の町で病院をやっていたが、長男(従兄弟。私は就職した年の毎日曜日、札幌から家庭教師に通っていた)も、その後外科の勤務医となり、叔父は息子に病院を継ぐべく最新の医療機器を導入して間もなく、従兄弟は33歳でくも膜下出血で急逝。叔父夫婦は数年して病院を手放し札幌に。
 音楽好きの叔父夫婦はそんなこともあってか、この若い人達の催しにいつも顔を出す。
 もう80歳になるが、今でも請われて週何度か診療に出、自家近くの円山登山と英会話を欠かさず、よくイギリスを旅していて、その若々しい真摯な生き方の叔父を尊敬してきた。

 山崎豊子著『運命の人』(四)文春文庫、読了。
 沖縄返還に関る密約事件の完結編。最高裁での有罪判決から、死ぬことばかり考え彷徨していた主人公は、宮古諸島の伊良部島に一時落ち着く。
 14年前、那覇で地域福祉学会が開かれた折にこの島まで足を伸ばし、地元の社会福祉協議会の人と交流をもったが、この時、沖縄の歴史を浅いながら何冊が本を読んだ。
 1816年、イギリス艦隊の二隻の軍艦が琉球に立ち寄り、大変な歓待を受けた。艦長バジル・ホールは帰国後『大琉球島探検航海記』(岩波文庫にあるが未読)を著し、帰国途中、セント・ヘレナ島に寄ってナポレオンに会い、「武器を持たずに国を保っている琉球という国がある」と語ったところ、ナポレオンは信じられない、とショックを受けたという。
 バジル・ホールは海軍をリタイヤした後、世話になった琉球のためにとベッテルハイムという宣教師を送った。彼は奥さんと琉球に来て8年も居ついたが、結局信徒は一人もつくれなかった。沖縄の人は理解を示すが、死者と祖先を大事にする自分たちの宗教を守ったのだった。しかしベッテルハイムは熱烈な琉球ファンになって、ここで生まれた二人の娘も琉球の名をつけたのだという。
 琉球の精神風土に「イチャリバ(出会いは)チョウデー(兄弟)」や「ヌチ(命)どぅ宝」があるが、『運命の人』の主人公・弓成も何度か生命の危機に際し、その都度心優しき隣人によって支えられる。(四)で語られる沖縄戦のひめゆり学徒隊、集団自決、そして返還後の土地闘争、少女強姦事件、米国公文書館での密約を立証する文書の発見。
 長い間、連絡も取り合っていなかった夫婦。しかし病気の弓成の危機に、隣人からの手紙に、妻は枕元に駆けつけ看病する。病も癒え、「やはり私、せめて半年に一度はあなたの元に参ります」「それには及ばない。これからは私が東京へ出向くことになると思う」。

 この本に、伊良部島の即興歌「トーガニ」が載っていた。
 むまんな みしゃーみーん    母にも見せたことのない
 ばたぬ なか ョー       腹の中を
 あさんな みしゃみーん     父にも見せたことのない
 やいが すく ョー       心の奥底を
 っヴぁん やたりゃーどぅ    あなたにだから
 あたらすぃ かなしゃん やたりゃーどぅ 
                 かわいい愛しい人にだから
 あきみしーにゃーん       開けて見せたのだ

 焦がれて待つ男の情愛を詠んだ恋歌だが、今日はヴァレンタインデーだった。

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