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よくあるご質問

倭韓交差王朝説について

私のHP(プロフにURLを付けています)に書いているように、古代の日本と朝鮮半島(特に、百済)の間には支配者(大王)が行ったり来たりしていたと考えていました。

そして、最近読んだ本で、その考えの名称(タイトル名です)と主張している人たちの名前を知りました。

その本とは、「天皇は朝鮮から来た」。昨年12月第一刷が刷られたばかりの新しい本です。

著者は、奇・俊(人偏が土偏)成。キー・ジュンスン。
昭和2年に韓国光州生まれ、昭和15年に京都の中学に留学するも中退して帰国。
この本は、想像以上に筆者が感情的に書いている部分もあり、あまりお勧めしませんが、この本の中でタイトル名と主張している人たちを知りました。

倭韓交差王朝説とは
(1)崇神は加羅から渡来し、九州のヤマタイ国を滅ぼし、350頃、纏向に第1倭国『加羅(南加羅))』を建て、箸墓に眠る。

(2)5世紀の中国に遣使した倭国王『讃珍済興』は 崇神の子孫になる。大きな前方後円噴に眠る。

(3)昆支と余紀は百済の蓋鹵王の弟。ともに崇神王家の済(ホムタマワカ)に入婿。昆支は応神になる。余紀は継体になる。

(4)応神は倭国王武として宋に遣使。491年に第2倭国『大東加羅(あすから=飛鳥ら)」を建てた。八幡大名神になった。

(5)継体は仁徳陵に眠る。仁徳から武烈の間は架空天皇。継体の息子の娘の石姫は欽明との間に敏達を生む。

(6)欽明は応神の息子で 531年継体の息子を討つ(辛亥の役)。ワカタケル大王となる。蘇我稲目と同一人物。

(7)蘇我馬子と用明と聖徳太子の3名は同一人物で、欽明の息子。隋に遣使したアメノタリシホコのこと。

(8)蘇我蝦夷はアメノタリシホコと敏達の娘の貝蛸(フツ)姫との息子。子の入鹿とともに天皇。崇峻、推古、舒明、皇極は架空天皇。 

(9)馬子に殺された物部守屋は敏達の息子の押坂彦人大兄と同一人物。その息子が天皇になれなかった田村皇子。

(10)天智も天武も田村皇子の息子。但し、異母兄弟。天武の母は馬子(聖徳天皇)の娘で 天武は古人大兄と同一人物。

以上は、他の人が要約したものです。
これから勉強していこうと思っています。

主張している人は、石渡信一郎氏と林順治氏。

石渡氏は、ネットの辞書(WikiPedia)では

「石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日 - )は古代史研究家。東京都出身。

1953年、東京文理科大学(現筑波大学)文学部英文科卒業。1953年〜1977年、東京都立千歳高等学校教諭。

主に以下のような説を主張している。

1.蘇我馬子=聖徳太子(厩戸皇子)は、用明天皇の架空の分身。

2.応神天皇は百済の蓋鹵王の弟昆支で、462年に崇神王家の入婿となった。478年には倭国王武として宋に遣使し、491年に百済系の倭国「大東加羅」を建設した。

3.奈良県桜井市にある箸墓古墳の年代は393年。その被葬者は崇神天皇。

4.仁徳陵の被葬者は継体天皇。仁徳天皇は継体天皇の架空の分身で、継体天皇は応神天皇の実弟。

5.『日本書紀』、『古事記』の神話に出てくるスサノヲは蘇我大王家の象徴。

6.蘇我蝦夷、入鹿の父子は天皇。

7.天武天皇は天智天皇の異母兄である古人大兄皇子と同一人物。

8.4世紀前半に朝鮮半島の加羅勢力が北部九州に渡来し、瀬戸内海を経て、大和の纏向が王都の倭国=大加羅(南加羅)を建設した。崇神天皇はその初代王。

主な著作
「応神陵の被葬者はだれか」      三一書房、1990年
「蘇我馬子は天皇だった」        三一書房、1991年
「日本書紀の秘密」            三一書房、1992年
「聖徳太子はいなかった」        三一新書、1992年
      他                             」

私も、この数年多くの本を読んできましたが、このお二人の名前を見かけたことがありませんでした。
理由は分かるような気がします。

ネットの通販で上記の本を購入しようとしたが、絶版になっているものが多く、中でも最初の本「応神陵の被葬者・・・」は古本で1万円以上とか。
しばらく、図書館通いの日が続くのかなと思っています。

また、林順治氏は、編集者として石渡氏の出版に関わり(多分、三一書房勤務?)、最近はご自身でも本を出版しておられる。

一昨日本屋さんで、氏の「日本人の正体」を見つけ購入。
これも、ゆっくり読んでいこうと思っています。

私なりに交差王朝説を理解出来たら日記に書くつもりです。
見て頂ければ有り難いです。

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