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よくあるご質問

姑の言葉

姑と私は29年間一緒に暮らした。

若い時は、血気盛んであったので
勝手に涙したり悔しがったりしてい
たが、今になってみるとほとんどが
私の勘違いと思い込みであったような
気がする。

舅も姑も、明治生まれであったので、
非常に厳しい方達であった。
私にという訳ではなく、すべてにである。
それでも、私には」特に厳しかったかも
しれない。
以前日記「褒められもせず、苦にもされず」
に書いたように、私はいくら一生懸命に
頑張ってみても生涯褒めては頂けなかった。

でも、今思うとそれは当然だったように思う。
この家を守り、息子と孫を託すのだから・・・。
それ故の厳しさだったのだと思う。

姑は、ご立派な方であった。
どこから見ても「大店」の奥様だった。
私とは「月とスッポン」であった。

お二人は厳しかったが、いつも上品で穏やかで
いらした。
意地悪をされたことは一度もなかった。


姑の様子があきらかに変わっ来たのは、舅が
亡くなってからであった。
所謂、認知症気味になられたのである。

それを目の当たりにして私は姑が愛しくなった。
大切にしてあげようと、心から思った。
私と居る時は、できるだけ明るく笑って暮らさせたいと
本気で思った。

姑は、私と顔を合わせるとよく笑ってくれた。
歳を重ねても美しい人だった。

それから、3年位たったある日、姑が言った言葉が忘れ
られない。

    「Y子、大変なんだよ。私死ぬのを忘れちゃった
    みたいなんだよ。」

舅とは「一心同体」のように仲が良かったので、舅の
いない日々を生きるのはお辛かったのだと思う。

そんな言葉を口にしてから、ほどなくして姑は、舅の
元に旅立たれた。享年91歳。
桜の舞い散る穏やかな春の日であった。

私が到らないだけだった。
ご立派で尊敬できるお二人だった。

精一杯頑張ったつもりの介護でも、今になるとああしてあげ
れば良かった、こうしてあげれば良かった、と思うことが、
山ほどある。

それでも、姑が亡くなった時、主人と息子がねぎらいの言葉を
かけてくれた。

     「本当にありがとう。あれ以上は出来なかったと思うよ。」

     「嫁と姑の枠を超えていて感動したよ。」

今年も姑のお命日4月4日が近ずいた。

     「おかあさん、どうしてますか?」

カテゴリ:ニュース・その他

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