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よくあるご質問

1例は1例

1例をもって全体を判断するまちがい。

旅行中に韓国人に金を貸したが返してくれなかった。
だから韓国人はずるい。

中国人は手を洗う習慣がない。
だから中国人は汚い。

日本人は風呂好きだ。
だから日本人はきれい。

アメリカではアメリア人に親切にしてもらった。
だからアメリカ人はみな親切だ。

これらの考え方を過剰一般化(overgeneralization:少数の事例や偏った事例で一般化してしまうこと)という。

これに気づかない日記がこの倶楽部に存在し、その日記に賛同する人がいる。

上の例はまだわかりやすい。が、次の例ではごまかされやすい。

1.医者は頭がいい。
2.東大生はすべて優秀だ。

*論理学では最初に語句を定義する。

「頭がいい」とは、「医科大学を卒業して、国家試験にパスすること」と定義すれば、「医者は頭がいい」といえるであろう。

しかし、「頭がいい」とは、「専門的医学の知識とともに、世間一般の常識的な知識も持ち合わせていること」と定義すれば、「医者は頭がいい」とはいえなかろう。
「頭の悪い医者もいる」。

風邪などでわたしが診察を受けていた以前の医者などは、特別養護老人ホームと養護老人ホームの違いすら知らないで、その費用や入所の可能性などにデタラメをならべたてていた。
そのうえにこの医者といえば、デタラメな情報を教えてやっているのだとのふんぞり返る態度であった。
頭の悪い医者であった。
プラス、性格もかなり悪い。

*論理学では番号をつける。

「東大生はすべて優秀だ」
まず、「優秀」とは「学業成績が良く、とくに一般教養科目で90点をとること」と定義する。

つぎに、東大生が仮に100人いたとして、その100人に1から100まで番号をふる。
そしてNo1から個別に見ていくと、「優秀な東大生」もいれば「優秀でない東大生」もいる。

またかりに、東大の一般教養科目とC大の一般教養科目とにおなじものを採用し、両校の成績結果を比較して、東大生よりC大生に点数が上回る生徒がいれば、かならずしも「東大生はすべて優秀だ」とはいえなくなる。

世界のなかの大学に番号をふる。
英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」(THE)が毎年公表している。
東大は26位(昨年22位)、京大が57位(同25位)であった。
「東大生はすべて優秀だ」とはいえなくなる。

やや以前に仙石元官房長官は、みずからの卒業校が東大であり、弁護士試験にパスしたようなことを記者会見で自慢げに話していたが、その論理性のなさを見ると頭はかなり悪いとおもわれる。
つけくわえれば、そんな話を聞かされた記者団はしらけていたという。
さらに仙石氏は劣等感の強い性格と思われる。
なぜならば、その論理性のなさ、根拠のなさを自慢するなどをうらがえしてみれば、自らの劣等感をかくそうとの気分から虚勢をはって(からいばりして)いたと推測できるからである。

このように、1例をもって全体を判断する「過剰一般化」(overgeneralization)は、まわりから見てまことにこっけいな考え方をつくりだすものである。

カテゴリ:語学・国際交流・社会貢献

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