『 煌めきの近代』 於 大倉集古館

維新を経て明治へ、日本の文化は諸外国との接触を契機として、それらを摂取しながらも江戸期までの伝統を維持して開発させるという、独自の展開をしていきました。
そのころ、大倉財閥 ( ホテルオークラ、大成建設など ) の創始者大倉喜八郎、その子喜七郎は、日本美術の蒐集と文化 ( 特に日本画 ) のスポンサーとして力を注ぎました。

蒐集した美術品展示するため日本初の私立美術館を開設したり、
昭和5年には、ローマで開催した 「 日本美術展 」
会場に和室を作り本格的に日本美術を紹介した展覧会で、イタリア政府主催と言いながら、そのスポンサーは大倉財閥。横山大観を団