趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

ダンテの『新生』

熊澤弘著『レンブラント 光と影のリアリティ』角川文庫、アートセレクションシリーズの今月の新刊。レンブラントの画業を作品とともに概説的に紹介しながら、浮き沈みの激しかった生涯、その波乱の人生を辿っている。P261、定価895円。
 ダンテ・三浦逸雄訳『新生』角川文庫、の2冊を読了。
 後書の奥付には68.9.25とゴム印が。大学4年のやっと就職が決まった頃だ。『新生』はダンテの恋愛の記録、と言うよりも片思いの記録と言った方がいいだろう。
 ゴム印にある頃、やっと失恋の落ち込みから立ち直りつつある頃でもあった。『新生』がどんな本であるか解って求めたのだが、結局、そのときは読めなかった。
 『新生』にたくさんあるソネットの、最後から3つめの詩。

 ああ、わが胸の欲情(おもい)にいずる
 溜息の、その力はげしければ、
 眼はとらわれて、うちまもる
 そのひとをしかと見る力もうせぬ。

 その哭き、はた、苦しみを訴うる
 ふたつの願望(ねがい)かとおもほゆるのみ。
 かく悲しみを しみみに泣けば、
 愛の精、これに苦悶(くるしみ)の冠をかずけぬ。

 これの思いや、わがもらす溜息は、
 こころのいたむ苦しみとなり、
 愛の精、傷みにたえず 気もぞ絶えしか。

 そや、傷ましき溜息のひとつびとつに、
 ?たき女(ひと)のなつかしき御名、はたやまた
 くさぐさの身まかるよしを伝えける。

 高校の芸術科目は、美術・音楽・書道のうち2つ選択ということで美術と音楽にした。別の中学で合唱をやっていた出席番号が私の次(アの2番)の友に、さかんに音楽部に入るように誘われた。中学時代は専ら柔道をやっていて、市内9校あった中学の中体連でもそこそこの実力にあったから、合唱なんてそんな女々しいものと思ってもいた。
 高校は合唱コンクールで北海道では常に上位にあったが、結局、そこで合唱の世界に足を踏み入れた。浪人して大学生になって、大学のではなく一般の混声合唱団に入った。
 歴史のある合唱団だったが、入った頃は人数も少なく学生は大事にしてくれた。幸いこの年にコンクールで優勝し、鹿児島で行われた全国大会に行った。初めて飛行機に乗り、大阪までは新幹線、そこから寝台特急「雲仙」で、西鹿児島に着いたのは翌日の夕方であった。当時は主催の朝日新聞社が旅費の半額を補助してくれていた。
 帰路は同志社大に行っていた高校の2年先輩と、途中気ままな旅を予定でいたのだが、先輩が就職試験で鹿児島には来れず、一人となってしまった。

 その人は鹿児島で「あなたどうするの」と心配してくれた。女性6人で九州を回ってから帰るという。「嫌でなかったら、一緒に回る?」と言ってくれて、同行することにした。
 宮崎へ行き、青島や鵜戸神宮などを観光したが、当時宮崎は新婚旅行のメッカでバスの窓側は全て帽子を被った女性、我々一行は最後部の一段高い座席からそれを見ていた。
 阿蘇越えをして夜熊本に入ったが、旅館を予約していない私の分の部屋はなく、何とか交渉してくれたおかげで一行の部屋の押入れに寝せてもらった。翌日は長崎へ行き、市内観光をして16時頃一行と別れて、私は深夜の急行で倉敷(大原美術館)・姫路城経由で友の待つ京都に向ったが、長崎で別れるとき「これ使って」とガイドブックを渡してくれた。
 京都で1泊、東京で2泊して高校時代の音楽部の友と語り合って、札幌に帰ってきた。練習場で返却すればいいものを、勤める会社に電話して再会した。
 それから練習日以外に、週1〜2日、喫茶店で会う仲となった。翌年の全国コンクール会場は東京武道館であった。
 この間、実によく話した。2つ年上の八千草薫によく似た人であった。夏の花火大会の時に人込みに紛れないように手を繋いで歩いたほかは、Kissひとつできないまま別れることになってしまった。

コメント

コメントはログインすると見られるようになります。