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よくあるご質問

ゴヤ・「Aun aprendo おれはまだ学ぶぞ」

堀田善衛著『ゴヤ ? 運命・黒い絵』集英社文庫、これで全巻読了。
 文庫で2000頁にもなる大作だが、思いのほかすらすらと。
 『ゴヤ』が最初に「朝日ジャーナル」に発表されたのは昭和48年、翌年に新潮社から出され、それから毎年1巻ずつ刊行、52年に完結。その頃、職場の同僚が結婚祝いに、この本が欲しいと言っていたのを思い出した。
 それが今回、集英社文庫として再販された。

 糟糠の妻に20回も妊娠させ、妻の兄によって宮廷画家として引き立てられたが、その老妻が亡くなると四十歳以上も年下の人妻を後添いにしたゴヤ。その生涯に何とも脂ぎった執拗さを感じてしまう。その涸れないエネルギーはアラゴン人の血なのだろうか。
 フランス革命の1789年、ゴヤに好意的であった皇太子がカルロス四世として即位し、43歳で宮廷画家に任命された。
 しかしその3年後に重病から全聾となってしまう。
 人生の半ばを過ぎ、特定の思想と尊厳をもつ必要性を自覚したゴヤはそうした悲劇的な状況にもかかわらず、音のない世界に突き落とされたことを、むしろ強制的に自己沈潜の機会を与えられたと外の者が思えるほど、決して挫けてはいなかった。
 若い頃からがむしゃらに突進していたゴヤ。そのための踏み台となるものは、絵画制作に関するものであれ、人間関係であれ、全てを有効に活用してきた。
 度重なる挫折を経験しながらも、そのことをゴヤは前進への刺激にさえしていたと思えるほどだ。
 しかしその後のスペインの政情は混乱の極みであった。
 スペイン王位をめぐるパプスブルグ家とブルボン家の対立から、イギリス・オーストリー・オランダの三国連合とフランス・スペインの二国連合が13年も争い、スペイン国内も二分していた。ルイ14世の孫のアンジェー公がスペイン王フェリーぺ五世となり、フランス系ブルボン家がスペインを統治することになった。王が真っ先に手がけたのは、スペインを経済的、文化的孤立状態から救うためヨーロッパ諸国に接近させ、そのために中央集権を達成して絶対王政を確立することであった。
 続くフェルナンド六世もこれを継承し地域別税制を排し、道路整備や商工業を発展させるも、教育や文化などのスペイン政治の基本でもあった地方自治権は徐々に剥奪されていった。
 こうした啓蒙政策を遂行する上に障害となったのは、イエズス会という絶大な権力をもった修道会であった。
 上からのヨーロッパ化と下からの純正主義・伝統主義の対立が激化し、政治・軍事のみならず道徳の面においてさえ貴族階級は国力の衰退とともにその指導性を失っていった。
 1800年前後のめまぐるしい治世環境の変化、民衆の蜂起、抗仏戦争、自由主義と保守主義の対立、保守の復権とその報復など、四分五裂のその様相は複雑を極めていた。
 そしてフェルナンド七世が復権してきたとき、次に該当する者は有無を言わさず逮捕、処刑されることになった。
1、前親仏派
2、自由主義的言説を弄した者
3、良俗を破壊し、妾やその家族を擁した者 
4、憲法に忠誠を誓った者
5、長年にわたり破壊的思想を鼓吹した者   
6、逃亡中の被疑者に避難所を供した者    
 うまく隠してはいたが、ゴヤはこの全てに該当した。
 間髪をおかずに、78歳のゴヤは宮廷に対して「老躯を悩ませている病苦と持病をやわらげるため、医師にプロンビエールの鉱泉を飲むように勧められた」ことを理由に、6ヶ月の休暇を申し出てボルドーに逃れた。
 休暇としたのは年金を確保するために。こうした中にあってもゴヤは計算高く、上手に立ち回っていた。
 50歳前の版画集「気まぐれ」、その後晩年にかけての「戦争の惨禍」、「妄=ナンセンス」、「闘牛技」の版画集。そしてマドリードの郊外に求めて孫に相続した「聾者の家」の室内壁画の「黒い絵」などの作品が並ぶ。
 ボルドーにあっても新たなリトグラフ版画への取り組みなど、精神的にも創作意欲の衰えは見せなかった。
 82歳で没するその4年間のボルドーで制作された中に、「Aun aprendo おれはまだ学ぶぞ」がある。版画の右肩にその文字が読み取れる。
 このことを、私も学ばなければと思った。

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