原子炉事故「K-19」

1961年7月4日、ソ連海軍、艦長ニコライ大佐の指揮下、グリーンランド付近の北大西洋上を航行していたソ連海軍初の原子力潜水艦K-19は、原子炉冷却材システムにトラブルを起こし、冷却水漏れ事故を起こした。長波無線システムが使用不能になり、同艦はモスクワの指示を仰ぐことは出来ないなか。技術士官と下士官以下8人からなる対策チームは、冷却システムの応急修理をするために高濃度放射線区域に長時間とどまることを余儀なくされた。 全乗組員は高濃度の放射線被曝を受け、そして、修理班における8人全員が1週間以内に放射線被曝で死亡した。このときの被曝線量は人間の致死量の10倍