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よくあるご質問

慈悲・人への信頼の優美さ

日本の昔話には、『浦島太郎』や『鶴の恩返し』など動物報恩話がたくさんある。
 日本人は人間関係を取り結ぶとき、恩と義理を中心としての付き合いを意識する。これは原理的には受けた恩にはお返しをしなければならないという原則から成り立っているのだが、本来的には「恩」は動物報恩話のように無償の行為で、自発的に善意に基づいて施し、且つ、お返しを期待しないものであった。だから浦島太郎も夕鶴の与ひょうも、お返しをしてもらおうなどとは露ほども思っていなかったはずだ。
 一方、義理は金銭の貸借勘定だから、「あそこに義理がある、いくらだ」と中元や歳暮、香典帳を見て返せば義理はなくなってすっきりする。そして世間ではこの贈与に対する返礼をきちんと済ます人を、義理堅い人と称してもいる。

《1995年1月17日阪神大震災のあと、街は慈悲心に溢れていた》
 『ボランティア もう一つの情報社会』(岩波新書)を著した、当時一橋大学の金子郁容教授は、雑誌『新潮』4月臨時増刊号「大真実-これからを生きるための43章」の、第39章で「慈悲Sweet Moment」と題した文を、上記のように書き出している。
 金子先生は震災直後から、被災地に入ってボランティア活動をされていた。
 《無残なようすとは対照的に街ではひとびとのそこここの小さなしぐさに、優しさが感じられ》そして、《互いを気遣い、ねぎらうようなまなざしをかわしている》と。
 全国のすべての人がテレビでリアルタイムに街の惨状を見ながら、あの下に人が埋まっているのでは、それを知りながら自分は呑気にテレビを見ていていいのか。自分も現地に行って瓦礫の一つでも掘り起こせるのではないかと思っていた。そして人々はやむにやまれぬ気持ちで行動を起こし、何と3ヶ月で延べ117万人のボランティアが彼の地へ駆けつけた。
 奥尻や中越の地震、有珠山の噴火、重油流出事故や台風水害など、これまでの幾多の災害の度に、ボランティアの拡がりが顕著に見られてきた。人々は自発的な想いに突き動かされて、当初は無意識的な部分はあったにせよ、被災者の苦しみに心を寄せ、行動を起こす中で、身をもってボランティアの何たるかを自覚していったようにも見受けられた。
 もちろん、1962(昭和37)年に、善意の預託をニーズに結びつける需給調整機能をもった「善意銀行」を立ち上げ、多様な機能を備えたボランティアセンターへと進化させてきた全国の都道府県・市町村社会福祉協議会がボランティア活動の普及と振興を着実に図ってきた歴史もある。しかし、巨大災害がもたらした強烈なインパクトは人々の心を大きく揺り動かし、ボランティアの発露を促してきたことは間違いない。

 《ボランティアは、被災者にとって、闖入者-見知らぬ、得体の知れない人である。その多くは、生まれてはじめてのボランティアを経験する人だ。歳、性別、職業、経験、特技。文字通り多種多様な闖入者たちである。今回の震災被災者支援に出向いたボランティアたちには、献身とか自己犠牲というしんきくさい雰囲気はあまりない》、そして《勇んで来てはみたがやることがわからないでいるボランティアたちに、被災者たちがボランティアをする機会を提供しているといってもいい場面があちらこちらで展開されていた》。
 《もとよりボランティアたちは被災者からの返礼は期待していない。(中略) 表面的に見るならば、ボランティアのサービスを受けた側が、サービス提供者に親切を返す当てはないのであるから、ボランティアと被災者の関係は互酬的交換関係ではないことになる。しかし人々は、災害に関わらず、「自分が困っているときにたくさんの人に助けられた」との想いが人々の心に甦って、支援や活動の先が必ずしも与えた人に返すというのではなく、AがBに提供したサービスの返礼を、Bはいま援助を必要としているCに対して返礼するという、この「連鎖を成立させているのが、スイートモーメント=慈悲であるが、そのスイートさは、要するに、人を信頼できることの優美さである」》
と、著者は文章を結んでいる。

 お金を届けに行ったら、北海道社協は岩手県の担当ということになっているそうで、もう少し現地が落ち着いてくると支援職員やボランティアの出番となるのであろう。
 いろいろ報道される事態に必死で頑張っている人に、やり方がどうのと批判する人もいる。批判するのは簡単だ。
 それよりも今、自分は何ができるのかを考えたいと思う。

コメント

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