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よくあるご質問

『般若心経』の骨子  (十四郎:私訳)

【2】[掲帝] 掲帝
 ところで心経の最後に、
訳すことが禁じられた『咒』(じゅ)というものがあります。

    掲帝    掲帝    波羅 掲帝
   (ギャアテイ ギャアテイ ハーラギャアテイ)
    波羅僧 掲帝    菩提   僧莎訶
   (ハラソウギャアテイ ボーディ ソワカ)

 わたしはこれを、敢えてこんな風に訳しています。

    掲帝(go) 掲帝(go) 波羅(more) 掲帝(go)
    波羅僧(more so=most)掲帝(go) 菩提(it's wisdom)
               僧莎訶(so long)
    「行け行け どんどん行け 『トコトン』まで行け
    その『行くこと』こそが あなたの『悟り』なのだ
               幸運を祈る」

 これを読むと人はきっと、
    「人生とは、どんどん進むことであり、
    どこまでも止まらず行き続け、決して休んではならぬ」
と云われているように、思うでしょうね。
 じつはそうじゃありません。「トコトンまで行く」
って、あるでしょう。意味はこうです。
    その「行くということ」さえも「通りすぎてゆく」
ってことなんです。
    「行け」とは、「休むべからず」
という第一否定。しかし「トコトンまで行け」とは、
    「『休むべからず』にさえも、休むべからず」
という第二の絶対否定。
 つまり、「行くことばかりが能じゃないんだ」ってことですね。
 これを「仏教の二重否定」と云っていゝでしょう。
 「行くということにも『固執しない』」のですから、
    「休む時にはどうぞごゆっくり、心ゆく迄お休みなさい」
ってことになりますね。

 アクセク無駄に走りすぎる私たちを、釈迦は叱っているのでしょう。要するに、「今、あるがままに自信を持って、生き生きと闊歩召されよ」となります。
 ここが釈迦仏教の根本だろうと思われ、
いわゆる葬式仏教とは無縁なところなのでしょう。

 この徹底した考え方が、わたしは好きなのです。

カテゴリ:エンタメ・ホビー

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