趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

「産経妙」  2011 3 29より

「何十年後の未来は『1970年代の人類は原子力に対してなぜあんなにビクビクしたのだろう。』と首をかしげたくなるかもしれません」。手元に東京電力の広報誌、「東電グラフ」の昭和51年1月号がある。 ▼ 知人が小学校のころ、火力発電所を見学した際にもらったものだ。実家の片づけをしていたら。机の中からでてきたという。当時、東電のキャラクターだつた「ピカちゃん」の電気社会学というコーナーでは、福島第一原子力発電所が取り上げられている。 ▼ 超耐震構造であるか、原子炉を監視するチェック措置が設けられているとか、安全を優先して電気を送りだしている仕組みを説明している。それに続くのが、冒頭に引用した文章だ。東日本大震災を経験した「何十年後の未来人」としては、首をかしげる代わりに、あいた口がふさがらない。 ▼ 被爆の恐怖と戦いながら、現場で必死に復旧作業に取り組んでいる人たちの苦労を思えば、今は東電の悪口を言っている場合ではない。そんなことは百も承知だが、放射性物質の濃度をめぐる、誤発表のドタバタには呆れた。枝野幸男官房長官も「決して許されるものではない」と東電を批判している。 ▼ その枝野氏がむ、別件では弁明に追われる立場だ。震災発生直後の12日早朝に、管直人首相が現地視察を強行したことが、現場の作業を遅らせたのではないか、との「疑惑」である。小紙がすでに指摘している。今度は共同通信などが、政府文書や政府関係者の話をもとに報じた ▼ 東電グラフの文書は、こう締めくくられる。「新しいエネルギーの道を切り開く者の責任は重いのです」。この言葉をかみしめてほしい人の顔が、次々に浮かぶ。・・・・・・

原子力発電所の安全性が多く語られてきた。だが、今日の東電と政府、あるいは原子力にかかわる人々の話が、全く信用できないような状況を作り出しているのも事実である。

原発の安全性を信じてきた一人として、この事故の現状を見ている限り、「安全性」を前面に出してきた割には「リスク」に対する対応と技術のなさにただ驚くばかりではある。原発周辺の自冶体に誘致の見返りとして、公共施設や道路の整備という条件を提示した物の、もし事故が起きた場合の避難所や待避所の備えがないということも考えられないことではある。

「想定外」という言葉以前に、あまりにもずさんな管理体制には腹立たしささえ覚える。東電と政治家、あるいは科学者も含めなんとなくなれ合いがなされた結果としての今回の事故ではないのか、何が問われているのか、まさしく、危機意識の欠如が結果としてこのような事故を誘発させたということなのではないのか、だといって、原発廃止や原発依存からの脱却という姿勢になりえない。さらなる原発安全への取り組みを続けることにより、人類の進歩は成し遂げられると信じている。

コメント

コメントはログインすると見られるようになります。