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よくあるご質問

尊厳死の宣言書 No1

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「尊厳死の宣言書」

私は、私の傷病が不治であり、かつ死が迫っている場合に備え、可能な限り安らかに死を迎えるべく、私の家族、縁者、ならびに私の医療に携わっている方々に、次の要望を宣言します。

この宣言書は、私の精神が健全な状態にあるときに書きました。
いたずらに死期を引き延ばすための、延命措置は一切遠慮致します。
苦痛を和らげる処置は、最大限に実施して下さい。
その副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向にかまいません。
数か月に渡って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置を取りやめて下さい。
(例え意思の疎通が難しくとも、声をかけて下さい。
人間としての尊厳を保ちつつ、最期は感謝しながら一足早くお別れするのが私の希いです。)

年月日、 
住所、
氏名、実印


これは”生者の意思”(Living will) と呼ばれる尊厳死の宣言書である。
私が初渡英する前に、家族全員が一人ずつ自筆で清書をした文書で,今も大切に保管している。
万が一のとき病院の医師や家族に宛てる委任状となり、自筆で署名、押印入りの文書でもって、患者の意思表示とみなされ、宣言書に沿って治療方針が決められるのである。

通常例文があるが、自由に記すことも可能で、( ) 内は私自身が作成し付記した。

私達は明日の我が身がどうなるのか、誰にも分からない。
ある日突然、病気や事故、怪我や天災に遭い、半身不随や脳死状態、不帰の人になるやも知れぬ危険性を秘めている。
老いも若きも関係なく、生きとし生きるもの皆全てに起り得る、災難を回避する術などあるはずもない。

事前に本人の意思表示がなくば、まず家族が生命の選択の責任を迫られる。
もし親族に一人でも延命を望む人があったり、医師が正しい病状の本人告知をためらったりすれば、例え絶望的であろうとも、終末期の延命措置が開始され、延々と治療を続けざるを得ない。

何よりも苦痛を伴う治療を受ける本人は基より、家族の精神的、肉体的、かつ経済的な負担は計り知れない。自らの終末期に際し、周りの人達に出来るだけ世話はかけたくない。

きちんと表明をと思っていたので、渡英は家族全員に趣旨を説明し、同意を得るよい機会となった。
私は毛筆でしたため、最後に日付けと名前を入れ捺印したとき、一仕事を終えたような清々しい気持ちで一杯になった。

「尊厳死の宣言書」とは、ある意味、自分の死への覚悟表明でもある。そして死を深く考えることは、生の延長線上にある死を俯瞰することに至る。

私達が自分の死を見詰めるとき、今まで無事に生き永らえてきただけでも、悠久の歴史を流れる、大河の一滴である我が身が、見えざる大きな「掌(たなごころ)」に守られてきたことを感じざるを得ない。

万人全てが無病息災を願いながら、叶えられぬ人も多く、そして自死以外に自分の死を予測することも叶わず、大いなるものに、この身をゆだねることしか出来ない無力さも思い知らされる。

だが生前に最期の希望を託すことは可能である。
私はこの宣言書と共に、アイバンク登録(死後眼の角膜を寄贈)も済ませている。
以って「終わりよければ全てよし」
他の人生の予想は狂うこともあるが、老いと死だけは例外なく全ての人にやって来る。

私は渡米や帰国で機上の人となるたびに「ああ、もうこれでお終いかもしれない」と毎回死を覚悟する。そして無事に降り立つごとに「生きて辿りつけた」と心から安堵し慶べることは、紛れもなく「生への賛歌」に他ならない。

署名、捺印をしてから7年間、私はまだ元気で生き延びている。あの瞬間を思い出すたびに身が引き締まり、感謝の念で一杯になる。だから何方かにお返しをしなくてはと、いつも思うのである。

ポーランド人の女医が人生を25年周期に区切り、「最初の25年は自分のために、次の25歳から50歳は家族のために、後の50歳からは社会のために生きる」との言葉を胸に刻み生きていきたい。

彼女の人生設計はしっかりと確立し一片の揺るぎもない。
だが理想と現実の狭間には深い溝があり、私にとって彼女は現人神のようなもの。
人間は10人10色である。自らの人生をどのように色付けするか、濃淡をつけるか、描き続けるか、差配はいつも私達の手の内にある。

「尊厳死の宣言書」は遺言書と共にもっと普遍化され、周知されなければならない。滋味深い人生の句読点だけではなく、私達の終末期の尊厳を守ってくれる、大切な意思表示の証なのである。

 
義憤 ,NO2へ続く。
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花画像より

カテゴリ:ニュース・その他

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