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よくあるご質問

あの桑原武夫教授も西田佐知子ファン

林達夫・久野収『増補・思想のドラマトゥルギー』平凡社選書、読了。
 読み終わって、フゥーと息をつくような、「こういう教養人はもういないかもしれないなー」という感じをもってしまった。
 巻末の人名索引を正確に勘定したわけではないけれど、おおよそ900人位のうち、過去に一度でも眼に触れたことのある人は7割もいないだろうな。洋の東西・時代を問わず、広汎な話題について渉猟する二人の対談も、久野さんが聞き役で林さんが応ずるという形で話が展開する。読んでいて、濃い霧がたなびいている中に、突如知っている人や事柄が現われ印象を残して、また次の話題へと移っていく、その小気味よいテンポも十全な理解には程遠いと感じながらも、読んでいて面白かった。
 松岡正剛氏の『千夜一冊』での紹介の冒頭に、「対談である。老練と達意の、学と知との、果熟と練成の、対談。衒学の応酬といえばまさに衒学を尽くした上品な応酬だが、互いの鋭い時代意識やタフな知の体験に支えられている」と。
 思わず付箋を付けてしまったところを、写し取ろう。

 関東大震災のとき、林さんは鵠沼に住んでいて家が全壊。“津波が来るから避難して下さい”という青年団の声で、砂丘の松林の方に避難。“ちょうどその一年目に死んだ女の子が生まれてまだ一週間目ぐらいのことで、家内は産後初めての外出でした”。“高等医専の校長をしていた三輪徳寛先生が屋敷の門の前におられて、”そこの小さな炭置小屋が倒れずにあるからいらっしゃい“と言ってくれて4週間ほどお世話になった。畳二帖ほどの空間に蓆ござを一枚敷いて・・。
 林 “それでも来る夜も来る夜も、小さな蝋燭の心細いあかりの下で、眠っている母子を傍らにして、僕は一冊の本を読み続けていました。本のほとんどがやられてしまった中に、わずかに無傷に残っていた数冊のうちのフランス本一冊を持っていったんです。それが、サバティエの『アッシジの聖フランチェスコ』でした。
 疲れ切っているのに、毎晩その時間が来るのを待つようにして読みました。しかし、不思議に読める。そしてそれが救いになるのです。ロゼッティはどこかで、無神論者にとっての「最悪の時」は、彼が本当に感謝したいことがある時に、感謝すべき何人もいないということだ、と言っていますが、僕という神を信ずることのできない人間が、キリスト教徒の中でも最も人間らしい、しかも福音の精神に誰よりも近くにいた、この純の純なる信者、聖フランチェスコが身近にいたということは、この僕という不信者にとっての守護聖者としか言いようがありません。
 去年、イタリアに行った時、僕は待望のアッシジへ行って一晩泊まりました。翌朝まだ明けやらぬ頃に、独りそっと起きいでて部屋のバルコンから眼下に見はるかす美しいウンブリアの平原の目覚めを二時間ほど飽かずに眺めて、聖フランチェスコのことを思っていました。
 ああ、とうとう念願の地へやって来た――それがその時の僕の感慨でした。僕にとっては、僕の一生でおそらくたった一度のセンチメンタル・ジャーニーだったと思います。この言葉の最も深い意味で。
 久野 そうですか、今度行って来なければいかんな。
 林 あの聖者のことは、僕はその大震災の頃少し調べていたんです。と対談は続く。

 久野 この頃ではヨーロッパ派の大インテリまでが、ぬけぬけと“藤圭子が好きや”と言う。以前には眼もくれなかった人がね・・。“この風潮は何ですか”と「圭子の夢は夜開く」を最初に認めた五木寛之は笑っていましたよ。(中略)
 僕は西田佐知子のファンなんです。「コーヒー・ルンバ」時代から、そして桑原武夫さんに彼女のことを話したことがある。桑原さんはたちまち感染して、テレビでさっちゃんが歌っていると、これもまた大の歌謡曲ファン神戸大学教授の橋本峰雄君のところへ“今、さっちゃんが歌っているぜ、聞いてるか”と電話するそうです。
 この熱度はさらに上り桑原教授退官記念パーティーに彼女を呼んで歌ってもらおう、と弟子たちが相談して申し込んだら、「大変名誉なことと存じますが、先約のスケジュールがつまっていてどうしても参れません」と丁重に断わられたらしいです。
 林 なかなかほほえましい話ですね。うちでも、たいていのものには容赦なく手厳しい批評をする家内(和辻哲郎夫人・照さんの妹)が、西田佐知子だけには、絶対にケチをつけなかったな。
 こんな分りやすい話ばかりではないが・・・。

カテゴリ:ニュース・その他

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