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よくあるご質問

田中好子の死。

乳ガン、これほど難しい癌は私の記憶の中ではありません。

田中好子、元キャンディーズのメンバーが、若くして(30代)で癌になり、20年を超えて闘病生活をやった末に、お亡くなりになりました。

私は「サユリスト」ですから、スーちゃんに特別の思いはありません。

しかし、この乳ガンには忘れられない思い、、、ドラマというか、 う〜〜ん、言葉にならない。。。

乳癌 = リンパ癌 ではないかと、私は思っています。・・・


昔、私は上場会社に勤めていました。 多分、30代の後半だったと思いますが、或るポジションの課長で行き、半年ほど経った日、部下の係長から自分の妻は乳癌を患い、もうすぐ5年を迎えるという頃に、また再発し、これからまた闘病生活が始まりますので、ご迷惑を掛けますがよろしくお願いします。というものだった。

そんな若さで・・・ 私は、あまりのショッキングな出来事に本当にビックリしました。

それから、その家族が経験してきた苦しい2度目の闘病生活を、私も間接的に体感することになっていくのです。
それはそれは、小さな子供を2人抱えた中で、聞くに忍びない闘病生活の連続でした。

そうした中で、1年後位その下にもう1人別な部門から異動で
私の部下が増えました。 
部下は全部で11人、二人は私に続く重要なメンバーです。

その係長は、新たに来た部下が結婚をしていたので、自分の妻の乳癌の話をして、乳癌はどんなところに出来るのかを説明していました。

その部下が来て、2回目の年末年始の休みに(後で聞いた話ですが・・・)、その夫婦が、お正月のテレビをゆっくりとして見ていたとき、その奥さんが、「私、ここにしこりがある」と言って、先輩のの話に聞いていた状況に似ていたので、正月明けに総合病院に看てもらいに行ったそうです。

念のために組織検査をして、1週間後くらいに結果を聞きに来てくださいとのことだったそうです。

暫くその事を忘れていて、奥さんが思い出し、その病院に結果を聞きに行ったところ、医者も忘れていて看護師さんに検査結果を持ってくるように伝え、その検査票がきて何気なく見た医師の表情がこわばったそうです。

「大したことはないから」という医師の言葉とは裏腹に、福岡の癌センターに入院することになったのでした。

子供が1人いるそこの家庭の闘病生活も、これもまた信じられない凄い悲惨な戦いの連続でした。

私は30代の後半、部下は30代の前半、その直属の2人の部下の若い奥さんが、同じ「乳癌」で、闘病生活をする。 私には、とても信じられない出来事でしたし、過酷な戦いの多くを2人から聞くことになっていったのでした。

そして、係長だった男性の奥さんは、私がそこに在任中に亡くなりましたし、その後輩も奥さんも、私が他へ異動して2年後に亡くなりました。

私は、お二人の葬儀に参列しましたが、とても悲しく、心が痛むものでした。

だから、私は乳癌を憎んでいます。 とても、言葉でこの日記に表現できるものではありません。
この2人は暫くして再婚しましたが、子供が小さいので私は自分のことのように嬉しく思いました。

当時、沢山の結婚式に出ていましたが、この2人の「子連れ結婚式」ほど感動したことはなく、涙がとめどもなく溢れました。

今度の、田中好子さんの、30代からの20年に亘る闘病生活を聞いて、丁度私の部下達と似通った年代で、何か他人事ではない胸に詰まされるものがありました。

改めて、その2人の部下の奥様達のことを思うと、小さな子供達を残して、先立つ思いは胸を締め付けれて、言葉になりません。

今、孫の友達の母親の2人が、癌で闘病をされています。乳癌かどうかは知りませんが、30代という早すぎる罹患に、何か今、環境を初め昔とは異なった厳しさが様々に出てきているのではないかと考えざるを得ません。

この文章には、意を尽くせてません。 それほど、厳しく・情けなく・やるせないものでした。

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