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よくあるご質問

スターバト・マーテル

昨23日の土曜日、札幌交響楽団第538回定期演奏会に行ってきた。
 指揮は首席客演指揮者のラドミル・エリシュカさん(80歳)で、ドヴォルジャークの「スターバト・マーテル(「御母はたたずんでいた」の意だが、「悲しみの聖母」と呼ばれている曲)」。
 折りしも今日24日は復活祭(移動祭日「春分の後の満月の後の最初の日曜日」)であり、このイースターの2日前は、「キリスト受難の聖金曜日」(キリストがゴルゴタの丘で十字架につけられた日)で、キリスト教国では国民の祝日となっている。
 定期の2日間公演の初日は、まさしく聖金曜日当日であったが、エリシュカさんはその偶然に驚きもしたという。
 チェコでは、この日は全国でドヴォルジャーク(エリシュカさんは、故国のドヴォルジャーク協会会長でもある)のこの曲が演奏されているそうだ。
 定期公演のプログラムはほぼ一年前に決められるが、「この悲しみと痛みに満ちた宗教曲を、日本の悲劇に捧げることになろうとは、当時、誰が想像できたでしょう。「スターバト・マーテル」で歌われるのは、磔刑に処せられたわが子キリストの前でひざまずく悲しみの聖母マリアを表現した、570年前の古い詩です。ドヴォルジャークがこの詞を用いて作品を書き上げたのは35歳のとき、本来、楽天家で陽気な彼が3人の子どもを次々と失うという人生最悪の不幸に襲われた時期でした。(中略)
 数年にわたり日本のオーケストラに客演を重ねてきた私にとって、日本の美しさ、礼儀正しく心温かい日本の人々は、大切なものとして常に心にあります。
 今回の「スターバト・マーテル」の演奏はこの大震災の犠牲者の方々へ捧げたいと思います。私だけでなく聴衆の皆様と共に」。とプログラムに言葉を寄せている。

 ドヴォルジャークは1873年に、彼が音楽を教えていた歌手志望のアンナ・チェルマコーヴァと結婚し、翌年には長男、75年に長女、76年に次女が生まれた。しかし長女は誕生の3日後に世を去り、その死を悼んでラテン語典礼文をテキストに「スターバト・マーテル」の作曲に取り掛かった。
 ところが77年秋に次女が薬の誤飲で、長男が天然痘で亡くなってしまう。3人の愛児を失ったドヴォルジャークの悲しみと鎮魂が77年に完成したのだった。
 曲はソプラノ、アルト、テノール、バスの独唱、混声四部合唱、オーケストラを用いて、全10曲からなる。
 深い嘆きで始まって、悲しみの満ち引きの中で傷ついた魂が慰められ、祈りのうちに浄化されてゆく。
 ソリストの半田美和子、手嶋眞佐子、小原啓楼、青山貴の若い実力派の声も素晴らしかった。実は昨年の秋口に、この曲を一緒に歌おうと随分誘われていた。しかし4月の中旬にトルコ旅行を考えていたので、そうすると肝心の時期に練習を休むこととなってしまう、そんな失礼なことはできないと諦めてもいたのだった。やはり歌いたかったなという思いと、ステージできちんと歌いきれただろうかと、今思うと全く自信はない。聴いているだけで、ウルウルしてしまったのだから。
 休憩なしで100分の演奏が終わったとき、エリシュカさんはタクトを指揮台に置き(その音も聞えた)、両手を指揮台に置いて長い間、深く頭を垂れていた。ややしばらくしてサワサワと静かに拍手が起こり、指揮台を下りて立派な演奏をしたソリストと握手、合唱団員の演奏を讃えて両手を高く掲げて差し伸べ、オケを立たせて、再び指揮台に上って客席のほうに振り向いたとき、ものすごい拍手が会場に満ち溢れた。

 エリュシカさんと同年齢の叔父と一緒に聴いたが、もう20年以上前、医師であった33歳の長男をくも膜下出血で亡くした叔父は、今日どんな想いでこの曲を聴いたのだろうかと思ってしまった。
 傘が鞄に中にあったのだが、霧雨のようなポツリポツリと落ちてくる小さな雨に濡れながら帰途についた。
 ちょっと寂しくも心には満たされるものが溢れていて、東北の人のことを思って歩いて帰ってきた。

http://www.youtube.com/watch?v=Jx4q9VpiQTE&feature=related

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