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よくあるご質問

『万葉集』編纂の宿命を持って生れたか、家持。…素浪人の『万葉集漫談』(206話)

家持の父、大伴旅人は、晩年(54歳)になってやっと生れたこの跡取り息子が可愛いくってどうしようもない一方で、歴代の名門豪族、大伴家の跡取り息子として如何に立派に育てるかに腐心しました。佐保の広い御屋敷の中で、家持は様々な学問を学び高い教養を身につけるように育てられて行くのです。
後に舎人(トネリ)となって官界に入るのですが、難関の内舎人(ウドネリ)に選ばれて、宮廷に仕えたのもそうした素養の高さを幼時から培い、学んできた成果と思われます。

(206) わが屋戸に 月おし照れり 霍公鳥(ホトトギス)
       心あらば今夜 来鳴き響(トヨ)もせ
        巻8・1480 大伴書持(オオトモノフミモチ)
解説・ 私の家には月が一面にこうこうと照っている。霍公鳥(ホトトギス)よ、心あらば今夜はやって来て心行くまでその鳴き声を響かせてくれ、という大変優雅な趣のある歌を詠んだのは、他ならぬ家持の弟です。

(206’) 山吹の 花取り持ちて つれもなく
      離(カ)れにし妹を 思(シノ)ひつるかも
     巻19・4184 大伴家持の妹、留女(リュウジョ)
解説・ 山吹の花を手折って、私の悲しい気持ちなどにはお構いもなく、旅立たれたあなたを偲んでおります。という意味の同母妹の留女の歌です。

この3人の母親については大伴郎女説あり異説ありですが、旅人は晩年になってからお子様ができ、それぞれに高い教養を身につけさせたようです。大伴家代代の言い伝えでは、天孫降臨の時の先導役、忍火(オシヒ)の命(ミコト)を祖先に持ち、以来、天皇に仕える家系とされ、武門の誉れ高い名門豪族でした。その家系を引き継ぐ資質を要求されて家持は育ったと考えられます。
家持が大歌人として成長し、『万葉集』編纂に強い情熱を持ち続けたのも、こうした父親の思い入れや家族背景が大きく影響したのかも知れません。 

と同時に、家持が生まれた718年は法興寺(元興寺)や薬師寺が平城京へ移され、藤原不比人らの養老律令の選進など、新しい時代が動こうとし始めている時でした。第8次遣唐使多治比県守も帰国、翌719年には皇太子、首皇子(オビトノミコ・後の聖武天皇)が、始めて朝政に参加する等、朝廷に深くかかわってゆく家持の運命を感じさせます。

人とは、生れた時により、所によって、宿縁みたいなものを背に負うことを、改めて痛く感じさせられる気がします。

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