藤の花の続きです

そこで、物知りに聞いたところ、
現在の熊野町は室町時代から環濠都市としての堺の中心で非常に賑やかだった。
そして、ここには「湯屋」が並んでいたため「ゆやちょう」と呼ばれていた。
明治になって町の名前を整理する時に、「湯屋は、まずい」ということになったとか。

多分、歓楽街だったんでしょうね。
現在の日帰り温泉ブームでは、「○○湯屋」という名前もありますから、私は別段まずいとも感じませんが、明治初期は風紀上まずいと思われるような場所だったようです。
町名を検討した人たちは、知っていたということですね。いや、常連客だったかも・・・

そして、「熊野」と書いて