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よくあるご質問

九州王朝不存在の考えに至った経緯

九州には3世紀の古墳があるといわれているが、奈良は勿論、東海地方にもあることが判明している。
倭人の領域は南朝鮮から北九州にかけて拡がっていて、此処を舞台として活躍していたという歴史的事実もあり、
また、1世紀には、奴国の王が中国に朝貢して倭国王の金印を貰ったことや、その50年後には、倭面土国王帥升が中国に朝貢して、
160人もの生口を献上したと言うことが中国の史書に記録されている。
これらの国々はおおよそ九州にあったとするのが通説で、これらの事から、九州には王朝があったかも知れないという思いもあった。
日本の史書の記事があやふやなこともこの思いを助長することになった。
九州の王が朝貢して来たことを以って、中国でも九州に王朝があったという認識が定着して来たのではないかと思われる節がある。
嘗ては皇国史観を盲目的に教え込まれて来たのが、敗戦を機に津田左右吉博士の記紀批判により、一挙に記紀は架空の物語であるという論調が高まった。
そして、一般の人々にまで、古代史の探究熱が高まってきて、夫々が生齧りの知識で古代史を論評するようになった。かく言う私もその一人ではある。
最近は、発掘により考古学的発見が相次ぎ、記紀の真実も見直されるようになって来た。

前に、九州に王朝があったかも知れないという一縷の望みが、木っ端微塵に砕かれたと書いたのは、安本美典氏の「虚妄の九州王朝」を読んだからであるが、
これは、安本氏に洗脳されたからではなく、安本氏の述べることが理に適っていると思ったからである。
一般の人々は、学者、研究者と違い、自ら古文献をくまなく調べ、その中から自分の意見を見出だそうとする訳ではなく、書かれた事の一部だけをみて、
そうだったのかと、目から鱗が落ちる思いをして、それを信じ込んでしまう。
学者に限らず、書かれた物は仮説であって、絶対の真実とは言えないのが普通である。
ところが、これこそ絶対の真実であって疑う余地は無いと、自己の解釈を声高に吹聴し力説する人が居る。
よく分らない人は、まんまとこの詐術的とも言える言辞に騙されて真実と思い込んでしまう。

「だろう」「かも知れない」などの不確かなことは好まれない。書く方もプライドがあるから断言する。
ロマンは「だろう」の中にこそある。決定してしまえばロマンは無くなる。
学者は真実を求め、ロマンは追求しないが、一般の人はロマンを求め、ロマンに陶酔する。
そして、そのロマンは自分の中での真実となって行く。
学者でも、研究を深めていく内に、傍証が増えて来ると、反対意見には耳を塞ぎ、その目標の到達点を目指して、偏った証拠集めをするようになる。
特に大先生の門下生は、先生の学説の補強をしようとするのか、この傾向がまま目につく。

マスコミはニュースにするため、途中経過であっても、結論が出たかのように先走りして、センセーショナルに報道する。
それが又、一般の人々を惑わせることになる。

嘗て、旧石器時代の発掘のニュースが盛んに飛び交った頃、秩父の山中に、50万年前の祭祀の跡ではないかと言う記事が出て騒がれことがあった。
その時は大勢の人が現場説明会に殺到した。私も距離的に近いところにあり、駆けつけた一人であった。
私は、説明を聞こうと列を成している人々をよそ目に、現場に立ってみて、50万年前のこの辺りの状況はどんな風景であったろうか、
とか、果たしてこのような現在と同じ様な山並みが続いていて、古代人はきちんと石器を並べて祭りをするような余裕があったのだろうか、
など、数々の疑問が湧いてきて、質問をぶつけてみたっかたのだが、あまりの人波でその暇は全くなかった。
いずれ再訪して所見を伺いたいと思って帰ったが、間もなく捏造であることが報道された。
現地を訪れた直ぐ後に、歴史の先生から感想を求められたので、信じ難い旨答えた。
先生は私の話を聞いてはいたが、信ずる筈も無かった。私とて確たる証拠があっての事ではなく、単なる感想に過ぎなかったのである。
然し、これまで本を読んだり、各地の遺跡を巡って来たことの積み重ねにより、このような思いに繋がったのは間違いない。

このことを以って、私の歴史観が正しいなどとは、とてもおこがましくて言えないが、このような観点で、歴史の流れを俯瞰すると、
前にも書いた通り、九州には王朝は無かったという結論に達したのである。

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