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万葉の名歌200選?…素浪人の『万葉集漫談』(215話)

(214) 熟田津に 船乗りせむと 月待てば
         潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
           巻1・8 額田王(ヌカタノオオキミ)
読み: ニギタヅニ フナノリセムト ツキマテバ
             シオモカナイヌ イマハコギイデナ
大意: 伊予松山の港、熟田津から船出をしようと待ち望んでいた月も出、折しも潮も満ちて、船出の条件が整いました!さぁ、皆さん勇躍、出船です!…といった緊張感の漲る歌です。

解説: 百済に応援を求められた朝廷は661年(斉明7)、斉明天皇自ら乗船し国を挙げてこれに応じました。
難波の港を1月6日に出て、備前邑久(大伯海:後出の大伯皇女はここで生まれた)に8日、伊予松山には14日着。石湯行宮に泊し、そしていよいよ、九州の博多へ向かおうとする時の歌です。
 と、一気にいいましたが、異説もいろいろとあります。
歌の作者についても説は分かれるのですが、額田王はシャーマン的な女性といわれ、天皇に代わってその意思を伝える「御言(ミコト)もち」の存在だったと思われます。
始め弟の大海人皇子(のちの天武天皇)に嫁ぎ女の子を設けながら、兄の中大兄皇子(のちの天智天皇)に愛されるという、数奇な運命を歩んだ謎の多い女人でもあります。
やがて博多港(那の津:後出の大津皇子はここで生れる)に入り、九州の朝倉行宮で全軍の指揮をとる予定で5月9日に其処に到着された斉明天皇は間もない7月24日に崩御されてしまいます。大化の改新以来背負わされてきた御苦労がどっと出たのでしょうか、661年7月24日、61歳(68歳説もある)のときです。
後継で長男の天智天皇(中大兄皇子)は、ここで軍船を整え、兵を集めて663年(天智2)1000艘の軍船、2万7千余の兵で海を渡らせます。世に名高い白村江の戦いです。
しかし結果は、唐と新羅の連合軍に完敗でした。日本最初の大規模海戦の歴史はあえない敗北で始まるわけです。

それにしても、古代の軍船には、多くの女性が乗船して居たようで、後に天武皇后になった持統天皇も一人息子の草壁皇子をこの博多で生んでいます。662年のことです。
現代の戦争感覚からするとまことに長閑かで隔世の感がありますね…(笑)。 

やがて大伯、草壁、大津と一歳違いの生れのこの三人はあの有名な悲劇に晒されます。大津皇子が無情にも死刑になったのは彼が24歳、姉の大伯皇女が26歳、そして草壁皇子が25歳のときでした。 まことに予測しがたい運命を脊負って人は生れるものだし、育たねばならぬものなのですね。嗚呼!

カテゴリ:ニュース・その他

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