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よくあるご質問

3・11 超大型地震東日本大震災 昔の言い伝えの風化 呑兵衛爺の暮れ暮れ草(35)

平成23年3月11日(金)に東北・関東地方にM9の地震と津波で激震被害をもたらし、その上、福井の原子力発電所で水蒸気爆発などのトラブルで放射線被爆など関連の事故を併発して日本全土を震撼とさせた。
大震災後はや三ヶ月が過ぎたのにライフラインが全て復旧したところが多いが、一部ののところは水道がとかガスが復旧していない個所もある。阪神淡路大震災の時は地震
被害のみでライフラインの復旧は一ヶ月で達成されている。三陸海岸は過去に何度も地震や津波の被害をうけているのである。地震の規模も大きかったが死者一万数千名行方不明者数千名も出したのは津波の規模が余りにも大きく、人々が逃げ切れなかったのである。日本は災害の多い国である。古来、書物や昔の言い伝えが生かされてきたのであろうか。
鴨長明「方丈記」(二一)には原文で・・・
「また、同じころかとよ。おびただしく大地震ふる事侍りき。そのさま、よのつねならず。山はくづれて、河は埋み、海は傾きて、陸地をひたせり、土裂けて、水湧き出で、巌割れて、谷にまろび入る。なぎさ漕ぐ舟は波にただよひ、道行く馬は足の立ちどをまどはす。
都のほとりには、在在所所、堂舎塔廟、一つとして全からず。或いはくづれ、或いはたふれぬ。塵灰立ちのぼりて、盛りなる煙のごとし。地の動き、家のやぶるる音、雷にことならず。家の内にをれば、たちまちにひしげなんとす。走り出づれば、地割れ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。竜ならばや、雲にも乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、
ただ地震なりけりとこそ覚え侍りしか。」
中野孝次の訳・・・元暦の大地震 また、同じころであったか、例を見ないすさまじい地震の起こったことがあった。それも並大抵の地震ではない。山は崩れて河を埋め、海は傾いて陸を水びたしにした。大地が裂け、水が湧き出し、巌石は割れて谷に転げ落ちた。浜近くを漕ぐ船は波に翻弄され、道行く馬は足の立て所に迷う。都のあたりは、一つところとして寺の堂も塔も被害を受けなかったところはない。あるいは崩れ、あるいは倒れた。地面から塵や灰がたち騰るさまは、まるで盛んな煙が上がっていくかのようだ。大地の揺れ動く音、家の壊れる音は、まさに雷が鳴るのと変わらない。家の中にいれば、たちまち押し潰されそうになる。外に走り出れば、地面が割れ、裂ける。といって羽がないから空を飛ぶわけにもいかない。竜ならば雲に乗って逃れることもできるだろうが、何であれ、恐ろしいことのうち最も恐ろしいのは、まさに地震であると思い知らされたのであった。

長明が体験した大地震は元暦二年(1185)で、人が一生に一つでも体験するかしないかというくらいの途方もない大事件を彼は人生に五回も経験した。その体験の大火・辻風・都遷り・飢饉・大地震を書き残さねば生らないと考えて方丈記に記したのである。

4/9の中日新聞夕刊10面の記事によると、1970年に発表された作家 故吉村明の記録文学「三陸海岸大津波」は明治・昭和に三陸を襲った津波を、被災者の生々しい証言をもとに描いて発表された。波の高さが四十〜五十メートルに及ぶなど、今回の津波被害を髣髴とさせる記述も多く、歴史の教訓を伝えるまさに「警告の書」であったが、大震災が襲った後で読んでも死者が甦るわけではない。日本人は今回の大震災、特に津波に関してはとにかく走って高台へ逃げるが大原則として語り伝えてゆかねばならない。

被災地からのメッセージによれば三陸地方に「津波てんでんこ」という言葉があることが知られているそうです。「てんでんこ」は「てんでんばらばらに」の意味で、「人にかまわず必死で逃げろ」
津波が来たときは身内や友達を探したりせずに点でバラバラでいいから逃げろ、という意味です。

「災害は忘れたころにやって来る」

(追記)6/17 警察庁まとめ
死亡15451
不明7692

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