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よくあるご質問

「聖徳太子と法隆寺の謎」倉西裕子著、2005年平凡社

九州王朝不存在を考えている間に、「タリシホコ(多利思北孤)」が一般的に聖徳太子に比定されていることと、聖徳太子には非実在説のあることが、
頭の中を占領してすっきりしないので、調べたいと思っていたら、この本に出会った。

1.書紀編年の疑問
日本書紀は編年に紀年と実年代に矛盾があり、江戸時代からの研究史から、紀年と実年代に120年(干支2元)のズレがあることが、本居宣長らによって発見されたものの、その採用理論までは明らかにすることが出来ずにいた。
この著者は、書紀の紀年は、仮称A列からD列までの4本の年代列があり、その列の各々に基準年が設定されているとして、平成15年に「日本書紀の真実ー紀年論を説く」を著した。

書紀は、讖緯(漢代の神秘説)歴運説と辛酉革命説から、干支一運(一元)60年と、一蔀(ほう)=21元=1260年毎に大変革があるとする思想に基づいて紀年が設定されており、
書紀は更に1元を加え、1320年を一蔀として、斉明7年661年の辛酉の年から1320年遡った紀元前660年の辛酉の年を神武元年に設定した。
定説としては、斉明7年ではなく、推古9年(601年)の辛酉の年から1260年前の紀元前660年の辛酉の年(第一の蔀の首、B列)を神武元年としている。
何れにしてもこのために、歴代天皇の在位年数が延びることになった。
外国の史書に合わせて基準年を設け、実年代の年代列が設定されたが、あくまでも辛酉革命の思想が貫かれている。
書紀は、推古9年(601)から120年後の720年に成立しているが、この120年をずらした年代列(A列)の上では神武元年は紀元前540年となる。
推古9年を第二の蔀の首としたのは、聖徳太子が讖緯説を重視し、改革を行う為、蘇我の馬古と別れ斑鳩の宮を興されたことを歴史的重大事項としたからだする説がある。

A列とB列120年の差がある2本の年代列は、この本の主題『聖徳太子と法隆寺の謎に関わってくる。

飛鳥時代と奈良時代を比較するばあいの注意点は、
日本書紀の称元法は踰年称元法(崩御年の翌年が次帝元年になる)、続日本紀は当年称元法(現在と同じく崩御年が次帝元年になる)で1年の差が出る。

2.「薬師如来像光背銘文」及び「釈迦三尊像光背銘文」偽造説
以下次回に続く。

カテゴリ:ニュース・その他

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