草壁皇子の死と、柿本人麻呂の挽歌。…秀歌200選(39)(40) 素浪人の『万葉集漫談』(236話)

かくて最愛の一人息子、草壁皇子の政敵であり、恋敵でもあった大津皇子を死罪として葬った持統女帝は一方で夫、天武天皇の殯(モガリ)(服喪の礼式・使者の蘇生を念じて埋葬までの間、遺骸を柩にとどめた)を2年間という長期にわたって続け、その間に豪族や政府実力者の中の反対勢力を、確実に抑え込んでいったのでした。
とくに電光石火に執行した大津皇子の死罪は、持統女帝の怖さを天下に知らせる結果となって反対勢力、抵抗勢力を畏怖させ、その一掃に大きな成果を齎したのです。
加えて自らは即位せず称制を敷いて、草壁の即位のため下準備だったのでしょう、天武天皇の殯(モガリ)の総指揮を