「書けるが話せない、読めるが聞けない」とは手あかまみれの表現だ。
天声人語氏までが6月17日に書いている。
「訳読と文法中心」の学習で、「書けるが話せない、読めるが聞けない。日本の英語教育の、今日にいたる宿痾(しゅくあ)だろう」、と。
参考までに宿痾とは持病のことだが。
冗談ではない。
正確(論理的)に書いてほしいものだ。
英語を「書ける」とはどういうことか。
英語を「読める」とはどういうことか。
英語が「書ける」「読める」を「日本語の半分の速さと正確さで書ける・読める」と定義すれば、「日本の英語教育」だけで「書ける」「読める」になった人は皆無であ