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よくあるご質問

英語が「書ける、読める」か

「書けるが話せない、読めるが聞けない」とは手あかまみれの表現だ。

天声人語氏までが6月17日に書いている。
「訳読と文法中心」の学習で、「書けるが話せない、読めるが聞けない。日本の英語教育の、今日にいたる宿痾(しゅくあ)だろう」、と。
参考までに宿痾とは持病のことだが。

冗談ではない。
正確(論理的)に書いてほしいものだ。
英語を「書ける」とはどういうことか。
英語を「読める」とはどういうことか。

英語が「書ける」「読める」を「日本語の半分の速さと正確さで書ける・読める」と定義すれば、「日本の英語教育」だけで「書ける」「読める」になった人は皆無であろう。
卒業までに英語の小説を1冊もよんだことがないという大学の英文科の学生が多い、との話さえある。
わたしの英文科での経験でも、英語概論、音声学などの教科においまくられてじっさいの英文を読んだことのない学生が多くいた。

「日本語の半分の速さと正確さで書ける・読める」の定義にしたがえば、半日かかってノート1ページをやっと書きあげるのでは英語を「書ける」とはいえないのだ。
辞書をひきひきして小説の1ページを1時間かけて読むようでは「読める」とはいえないのだ。

「日本の英語教育」だけでは無理である。
英語を「書ける」「読める」には自己学習が必要だ。
日本語の「書ける」「読める」でも、かなりの長い時間を自己学習してきたではないか。
それでも日本語さえ、多くの日本人が正確に「書ける」「読める」とはいえないが。

英語を「聞く」「話す」にしても同じこと。
これも英語を「聞く」とは、英語ニュースが聞けることと定義すれば、「聞く」ようになるには自己学習が必要である。
「話す」も英語ニュースていどの話をできることと定義すれば、やはり自己学習が必要である。

1週7時間程度の「日本の英語教育」で1つの国の言葉を学習できると思うのは、くぎのうち方さえわかれば1戸の家を建てられると妄想するのと変わりない。

「日本の英語教育」で英語を「書けるが話せない、読めるが聞けない」などと表現するのはあまりにも的外れである。

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