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よくあるご質問

母の幸せ、祖母の幸せ

これはと思って求めた新刊書も随分たまってしまった。
 その中で、池澤夏樹編『本は、これから』岩波新書、田丸公美子著『シモネッタのドラゴン姥桜』文春文庫、について。
 最近とみに電子書籍の普及が著しく、読書の世界に新たな展開が予測される中で本はいったいどうなっていくのか。書店、古書店、図書館、取次、装丁、編集、そして書き手の立場からこの問題について寄せる37のエッセイを纏めたもの。
 もともとアナログ人間を自認する古い人間にとっては、グーテンベルグの時代から500年続いた紙媒体の書籍から抜け出せないというか、そもそもこれが本というものだという認識を越えられないでいる。電子書籍、そんなのは本ではなく、単なるデータだろうと。
 今回旅行に出る前にブックフェアで半額本をゲットした。
 『ルネサンスを彩った人びと-ある書籍商の残した列伝』臨川書店刊。フィレンツェの当時の書店主がその職業を通じて直接交渉を持った教皇はじめ聖職者、王侯、人文主義者たちの生涯を、興味深い逸話を中心に書き綴った書で、大判550頁で4,700円。悲しいかな年金生活者の小遣いでは、半額であったから注文できた本であるが、まだ読んではいない。
 書籍だの読書というと、つい手を出してしまう癖は治らない。そんな中で、37のエッセイのうち最も共感を覚えたのは、古書店主でありエッセイストの出久根達郎氏の文章。

 「電子書籍は、正直言って、まだ、ピンとこない。画面上に活字が現われて、はい、これが電子書籍です。といわれても、こんなもの、子ども相手のゲームのようなものとしか思えない。何が書籍なものか。紙の本も読まない者が、電子の本を読むだろうか。読むとしたら、それは印刷されたような端正な文章ではなく、ひとりごとのような、どうでもよい文章である。おそらく、紙の本とは違う、電子書籍向きの文章であろう」。(略)
 「これはたいていの品にいえることだが、私はコレクションの対象にならない物は、流行しないと見ている。電子書籍は、これに該当する。日本人は物集めが大好きな民族である。コレクションを文化と心得る(いや、文化にした)、ユニークな人種である。集めて保存することに意義をみいだしたのは、天災や火災の多い国だからだろう。(略)
 増えると収蔵に苦労するから、その悩みが嬉しいのである。コレクターだけが知る喜びである。電子辞書は置き場所に悩まされない。何千冊でも保管できる、と謳っている。
 あなたは本の山から解放される、部屋がスッキリしますよ。これが最大の利点というが、本の山をうっとうしく思う人は、もともと本が好きではないご仁だろう。愛書家は本の山だから嬉しいのである。(略)
 本の魅力は、簡単に言うと、紙なのである。愛書家は紙が好きなのだ。手で重さと大きさを確かめられない物に、感情移入できるとは思えない。感情移入できない物に、ドラマは生まれない。ドラマの誕生こそ、紙の本の持つ最大の特徴かもしれない」。

 イタリア語同時通訳者で翻訳家の田丸公美子著『シモネッタのドラゴン姥桜』文春文庫、腰巻には「息子は開成→東大→弁護士、小さな字で、そしてトンビに油揚げさらわれた・・・。型破りな(爆笑)子育てエッセイ」とある。
 著者のエッセイ『パーネ・アモーレ イタリア語通訳奮闘記』、『シモネッタのデカメロン イタリア的恋愛のススメ』を読んでいたが、敬愛するロシア語同時通訳者でエッセイストの米原万里さんが『ガセネッタ&シモネッタ』文藝春秋社、の中で、「イタリア語通訳界の大横綱(後に続く大関、関脇、小結なし)と賞賛されるだけのことはあって、頭と舌の回転がわたしの10倍は速い田丸さんは、まるで機関銃のように下ネタを連発する。どれも粒ぞろいの傑作ばかり」と書いているように、この子育て論も実に愉しい。お薦めだ。
 この本の中に、「無限無償の祖父母の愛は、彼の中に優しい心を育んでくれた。じいちゃん、ばあちゃんありがとう」。と、クララ・ヴェントゥーラの詩を載せている。

母親は、わが子を誇らしく見つめる。
彼は自分の分身。
息子の人生に望むのは、自分が叶えられなかった夢。

祖母は、孫を優しく見つめる。
彼は、この地球上にたった一人しかいない無二の存在。
お前の夢は何? なんで笑っているの? 何がそんなに悲しいの?
尋ねるのはそれだけ。
孫の人生に望むのは、おだやかな幸せ。
ただそれだけ。

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