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よくあるご質問

謎の生い立ち、そして謎多き妻をもつ柿本人麻呂。…秀歌200選(48)(49)。 素浪人の『万葉集漫談』(243話)

柿本人麻呂と言えば、もう知らぬ人は人はないでしょう。万葉時代でも随一の名歌人で後世、歌聖と呼ばれ、日本全国に彼を祀る夥しい神社があるほどです。
しかしその生没年は知られず、生い立ちも定かではありません。ましてその妻たちも2人説、3人説4人説とあって今日まで夥しい万葉学者や研究者が、数知れぬ多くの研究発表をしながらなお、明快な回答は得られぬままなのです。
まるで怪奇小説に登場する偉大な歌人にたとえても不思議はないような男です。しかし、記録されて残した名歌の数々から、その存在を否定する学者はいないようです。

この万葉日記でもすでに再三登場し、優れた歌を披露してきていますが、今日はその彼の最後の妻かと言われる、石見(イワミ)の妻との別れ(と言っても死別はありません)を詠った名歌です。

(243) 石見のや 高角山(タカツノヤマ)の 木の間(マ)より
            我が振る袖を 妹見つらむか
           巻2・132  柿本人麻呂(カキノモトノヒトマロ)
(243') 笹の葉は み山もさやに さやげども
             我は妹思ふ 別れ来ぬれば
           巻2・133 柿本人麻呂

大意・ (私が家に残してきた若妻は)、石見の高角山の木の間から、私が懸命に振るこの着物の袖を見てくれただろうか、(ああ、愛する妻よ!)。
解説・ …さしずめ今日なら新幹線の車窓に手を振りあって、亦の再会を期す、恋人同士のお別れ風景とでもいうところでしょうか。
ただ、ここでの時代は古く、石見から都に上る道は険しく困難で、上京する途中には満足な宿もなく、路上途中で行き倒れで死亡する人もあとを絶たない時代です。そこに、思いをはせて歌を鑑賞してみてください。

大意’・ (山全体を覆うように生い茂った小竹の笹の葉。)その笹の葉が全山を揺するように、さやさやと言い知れぬ深みのある音をたてている。この笹の葉のそよぎの中で、私は別れてきた妻を一途に思うことだ。(…ああ、最後の別れとならなければよいが!) 
解説’・ 石見の役人として派遣された柿本人麻呂は、若い妻を得ます。官仕えの身である以上、定期あるいは不定期に、地方の状況を都へ報告する義務がありました。そうした任務を帯びての旅の途中です。若妻と過ごした日々の至福の時間を、ありありと思い出しながら怖い山路を辿り、小竹の笹のさやぎを聞いている中老の宮仕えの歌人の心境を想いやってみてください。
歌を原文にそって解釈することも大事ですが、ご自分で、その時代に身を置き、作者の立場に立って、自分なりの解釈をしてみるのも楽しいものです。

原文の第3句は万葉仮名で、「乱友」となっていて、鎌倉中期の学僧、仙覚は「みだれども」と読みました。「さやに、さやぐ」と爽やかな音を踏む、「さやげども」が今日では一般的になりましたが、周囲の山の雰囲気というか状況から声調をもってしても、「みだれども」と読むべしという主張もあって、斎藤茂吉『万葉秀歌』など参考になります。 
歌論は、あまり難しく考えないで、ご自分のセンスで、納得する解釈を自分なりに選ぶと案外、短歌など身近な存在になるのではないでしょうか…。

さて、皆様はどちらの読み(訓)を、お選びになりますか?(笑)

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