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よくあるご質問

峠の怖い神様へのお供えを!…名歌200選(52)(53) 素浪人の『万葉集漫談』(245話)

(245) 磐代(イワシロ)の 浜松が枝(エ)を 引き結び
        ま幸(サキ)くあれば また帰り見む
            巻2・141 有間皇子(アリマノミコ)

大意・  ああ、(わたしは今は捕われの身で)こうして浜松の枝を結わえて無事を祈ってゆくことだ。もし、何事もなく帰還できたら、もう一度この松の枝を見ることができるのだが…。と、生きることに一縷の望みをかけた祈るような歌です。
解説・ 父親が孝徳天皇に即位したとき、有間皇子(アリマノミコ)は6歳と、ようやく物ごころがつき始める頃でした。母親は左大臣の娘、小足媛(おたしひめ)です。
天皇の唯一の男の子であったし、次の天皇を狙える有力な一人としての自覚をもちつつ明るく育ったのでした。

それが有間皇子が15歳の時、意見の衝突から、孝徳天皇は難波の宮廷に置き去りにされ、都を大和の飛鳥に遷されてしまうのです。その所為か翌654年に亡くなります。

さぁ、蘇我一族を滅ぼして大化改新を推し進めてきた、中大兄皇子と藤原鎌足にとって孝徳政権は、中大兄皇子(ナカノオオエノオウジ)が即位するまでの暫定的なものに過ぎませんでした。
こうなると、皇位継承の有資格者は却って大きなマエナス、危険な存在となるのです。一転して、命を狙われる存在となってしまったのです。
蘇我入鹿(ソガノイルカ)を暗殺しその一族を滅ぼしたばかりか、皇位継承の有力者、古人大兄皇子を攻め殺し、政敵と見れば情け容赦なく、非情な死に至らしめる中大兄皇子(のちの天智天皇)のことです。
有間皇子も生きた心地はしなかったことでしょう。
そして、658年ついに、中大兄皇子配下の蘇我赤兄(ソガノアカエ)に唆され謀られて、謀反の罪を着せられ逮捕されてしまったのです。

(245’) 家なれば 笥(ケ)に盛る飯を 草枕
          旅にしあれば 椎の葉に盛る
          巻2・142 有間皇子(アリマノミコ)
大意・ もし私が家にいたらちゃんとした立派な器に盛って、ご飯をお供えするところですが、今は捕らえられ旅の途中です。お粗末な椎の葉にしか盛ることはできません。(ああ、どうぞ神様、お許しください)

解説・ 中大兄皇子の謀反の理由を訊く審問に、「天と赤兄のみ知る」(現代風にいえば、「そりゃぁ、貴方と、赤兄が知ることで、私は全くわからない」)と答えて、天皇のお子としての誇りからか、一切を答えず帰途、絞首されてしまうのです。

この歌も文字面を追う解釈で、単なる旅路の峠の神に対する祈りと解する説もありますが、『万葉集』を楽しむには、その歌の背景や歴史、物語を併せて鑑賞してこそ味わいも湧くし面白さも出るものと思います。敢えて意訳でこの日記を続けることで、ご了承ください。 ただ、当時の旅路は現代では想像できないほど怖ろしく、峠など越すときは、お供えやお祓いをして、峠の神様のお許しを得ながら旅路を続ける習慣があったことも、ご承知ください。

カテゴリ:ニュース・その他

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