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よくあるご質問

げびたコメント

「下卑た」とは「低俗な」という意味。
あいまいな表現で品のある文章を装いながらも、その実は根拠のない通俗的な空想をいうだけ。
論理より情緒をこのむ日本人に多い。

分かりやすくするために順次書いていく。


まずSさんの日記「(留学)妻に持つなら日本人女性」の要約。
「私の通っている語学学校の生徒の約6割は女性。白人も黒人も黄色人種もいる」「女性のためにドアを開けて待っていてあげるが、多くの女性は礼も言わずに通り過ぎていく」
「ドアを開けて待っていて下さるのは日本人女性だけ」。
「日本食堂に行った」「日本人女性はウェイトレスが持って来たお茶を1人1人に渡してあげ、箸も同じように配ってあげていた」
「これは日本人女性の優しさからくる心遣いではなかろうか」
「妻に持つなら日本人女性」と世界の男性は思う筈。

1.そこでわたしはコメした。
「元サム」
「Please, thank you, excuse me が(マナーの)基本。
Sさんの体験は、アメリカでのわたしの体験とは異なるよう。
わたしはキリスト教区にいたせいか、アメリカの女性は他人の親切によくお礼とSmileを返してくる。
プラス、日本の女性のように他人の失敗を笑わない。

「妻に持つなら日本人女性」はどうだろう。
日本人女性が外国人に好まれるのは、数ある中の理由の2つが日本女性の「おしとやかさ」と「表面的には夫につくす」こと。
しかしこの2つは聞こえがいいが、「依存性」の裏返しかもしれない。

アメリカ男性が博士号をとるために猛勉強し、アメリカ女性は家計を支えるために夫の代わりに猛烈に働く、といった夫婦図がアメリカではよくある。
国のしくみのちがいもあるが、こんな女性は日本にはいないのではないだろうか」。

2.わたしが問題とする「シェ」さんのコメ。
「手厳しい意見もあるようですね。
人を思いやる気持ちは自然なもので、それが日本の文化なのだと思います。
レディファーストなんて、それを誇示しなくてはならないほど、実際は人のことを思いやらない外国人が多いのでは」

3.わたしのコメ
「シェさん。
「あるようですね」「思います」「多いのでは」だけでは空想論なるコメントというほかない。

「手厳しい意見」とは?

わたしの意見は「手厳しい」とか手ぬるいの話ではない。
あくまでのわたしの体験事実を書いている。
あなたのような抽象論と空想論ではない。

「人を思いやる気持ちは自然なもので、それが日本の文化なのだと思います」とかってに「思う」のはあなたの空想論。

日本人はアメリカ人より人の失敗を笑う。男女とも。
TVのおかしな失敗場面でさえ、アメリカ人は口をおさえて自分の笑いをかみ殺す。

日本の若者が夏のさなかに車を暴走させ、窓から出していた片腕をなくした事故がある。
ある日本の女性はアメリカでこれをキャッ、キャッと笑いながらホストファミリィに話していた。
ホストファミリィはおどろいた。
他人の不幸をこれほど面白おかしく話す日本の女性に対してだ。
これでは「人を思いやる気持ち」は感じられない。

「レディファーストなんて、それを誇示しなくてはならないほど、実際は人のことを思いやらない外国人が多いのでは」も単なる空想論。
多いか少ないかは統計しなくては分からない。

ここでもわたしの体験と、それにもとづく意見を書く。
10年前のわたしのアメリカへの再訪問でも、男性に女性がドアを開けてくれるときがある。
したがって、今のアメリカは男女同権の意識が強いので、女性が「レディファースト」に甘んじてはいない、とするのがわたしの意見である。


「あるようですね」「思います」「多いのでは」だけの空想論なるコメントほど下卑たものはない。
事実にもとづいた意見を書いたほうがよい。

こう書いたあとでわたしがアメリカ女性を全面的に支持している思うなら、それは「generalization: 一般化」なる誤解である。

アメリカ女性も日本女性も不完全な人間的存在であり、長所・短所をそれぞれもっている。
ただこの日記のコメでは、アメリカ女性の良い点のみを書いているだけである。


最後に。
人の意見に反論めいたコメをするなら事実にもとづいたほうがよい。
「抽象論」では「思う」「思う」の水掛け論になる。
空想論は人のためにならず、役立つこともないので、具体論を書いたほうがよい。

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