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よくあるご質問

サラエボの花

何気なくテレビで見た映画。

”サラエボの花
http://www.youtube.com/watch?v=cam5oHfpsQE

映画“グルバヴィッツァ”(邦題“サラエボの花”)は、出来るだけ多くの方に観て頂きたい映画だ。この映画は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ全域、首都サラエボ、そしてサラエボの一角、グルバヴィッツァで20世紀、人類として恥じるべき、また運命的な悲劇が繰り広げられた物語を語るなかで、人類は二度と決してこのような悲劇をいっときも、如何なる場所においても繰り返してはならないというメッセージを発している。グルヴァヴィッツァは、20世紀、人類の良心モラルがかき消され、憎悪心にあやつられた武装兵士たちによって計画的に組織された民間へのレイプ行為が繰り広げられたことで、この紛争の一大悲劇の舞台となり、世界史上においても類なく稀な場所となってしまった。
ベルリン映画祭で最高賞を受賞したこの映画は、自活しているシングルマザーのエスマと娘、サラの生活を通し、母親エスマの娘サラに対する2つの心の葛藤:キャンプで武装兵士によって犯され、生まれた自分の娘に対する測り知れない愛、一方レイプした武装兵士たちを憎しみ、留まることを知らない恐怖心、トラウマに駆られている自分自身を描いている。
我々、グルバヴィッツァの住人は、かつてサラエボのこの地区が、すべての者がともに共存し、生活を営み、サッカーをし、音楽を奏で、愛を語らえる象徴的な場所であったことを決して忘れない。我々はいまだに、そのような場所で紛争という悲劇が起きたことによって、殺戮や武装兵士による集団レイプ、諸々の憎悪に満ちた行為が繰り広げられたことを信じがたいと同時に、この様な事実を決して忘れ去ってはならない。グルバヴィッツァはいつの時代でも、慈愛深い人、スポーツ選手、インテリといった偉大な人々を生み出して来たが、他の場所からやってきた野蛮な悪人たちによって汚され、服従されようとされてしまった。しかし、この先もグルバヴィッツァの精神は生き続けるだろう。グルバヴィッツァとそこに生き続ける精神はそう生易しくかき消されることはない。
 ≪イヴィッツア・オシム(サッカー元日本代表監督≫
2007年11月13日 東京にて

女性に対する性的暴力は残念ながらいつも起きている。しかしこの紛争では女性への暴力行為だけでなく敵の民族の子供を産ませることで後世に影響を残すことが作戦として組織的に行われた。ボスニアヘルツゴヴィナは三民族が混在していたつまり生活の場所が戦場になったのである。死傷者は戦闘の前線や攻撃で生じるばかりでない。民族浄化のために自宅から追い立てられる際に男子や子供は殺され女性はその場では辱められ連行された例も多い。各地に収容された女性は連日多くの兵士に乱暴され妊娠すると本人の意思に反して子供を出産させられた。民族間の和解の可能性を消しさる為である。収容所で自殺や子供を殺した例もある。
≪ボスニア・ヘルツゴヴィナ連邦公共放送 東京支局 西浜滋彦氏≫

セラピーの場で泣きながら初めて自分の過去を告白する母親エスマ。収容所で敵の兵士にレイプされて身ごもったこと、その子供の存在が許せず流産させようとおなかを叩き続けたこと。出産した後、
「{その子は見たくもない!連れて行って!}すると赤ん坊の泣き声が部屋中に響き渡った。その翌日母乳が溢れだしたわ。私は言った。
{その子にお乳をあげるわ。でも1回だけよ。}娘が連れてこられた。その子を腕に抱きあげると弱よわしくて小さくてとても綺麗な子だった。私はこの世にこんな美しい物があると知らなかった。」

紛争により子供達へのPTSDとみられる影響も出ている。情緒不安定などの症状も出ている。紛争中に母体の中おり紛争が収まった頃に生まれた子供でも同様の症状がみられるという。着弾音が聞こえ母親が常に緊張しておびえていた状態が胎児にも伝わったと言われている。

2008年にクロアチアに行った。ボスニアにも寄った。家々の壁に
銃弾の後が生々しく残っていた。
プリトヴィッツェ湖畔国立公園の散策の前に添乗員さんが言った。
「みなさん現地のガイドさんには、戦争のことは聞かないで下さい。戦争の話題をしないで下さい。明るくしておられますが戦争の傷はまだ癒えてないのです」と言われた本当の意味が今になって理解できた。

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