万葉第2期(672〜710年)と言えば、都は飛鳥浄御原、藤原宮の時代であり、天武、持統、文武と統治者も代わって、律令体制の整備は格段と進み、宮廷が繁栄と安定をみせます。
自然、和歌には力強さとともに重厚さが加わり、表現技巧も発達するのですが、持統女帝に重用された柿本人麻呂が如何なくその才能を発揮し、また高市黒人、長意吉麻呂(ナガノオキマロ)、志貴皇子(シキノミコ)など優れた歌人の活躍がありました。
遣隋使、遣唐使の度重なる派遣で先進大陸文化を吸収してきた日本でしたが、天武、持統朝では、遣唐使をピタリとやめ、対外的には新羅とのみ交流を図り、国内政治体制の整