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よくあるご質問

激しく動く国際情勢のなかで咲いた、柿本人麻呂の大輪の花。 名歌200選((58)  素浪人の『万葉集漫談』(250)

万葉第2期(672〜710年)と言えば、都は飛鳥浄御原、藤原宮の時代であり、天武、持統、文武と統治者も代わって、律令体制の整備は格段と進み、宮廷が繁栄と安定をみせます。
自然、和歌には力強さとともに重厚さが加わり、表現技巧も発達するのですが、持統女帝に重用された柿本人麻呂が如何なくその才能を発揮し、また高市黒人、長意吉麻呂(ナガノオキマロ)、志貴皇子(シキノミコ)など優れた歌人の活躍がありました。
遣隋使、遣唐使の度重なる派遣で先進大陸文化を吸収してきた日本でしたが、天武、持統朝では、遣唐使をピタリとやめ、対外的には新羅とのみ交流を図り、国内政治体制の整備を図ります。
人麻呂の神代以来の天皇制を謳歌する、天下に響き渡るような朗々たる歌を、持統女帝は政治的にも大いに利用した趣があります。
人麻呂はそうした国威高揚の歌、貴人の死を悼む公的な挽歌を詠う一方で、私的にも数々の名歌も遺していきます。

(250) 沖つ波 来寄する荒磯(アリソ)を 敷栲(シキタエ)の
            枕とまきて 寝(ナ)せる君かも
              巻2・222 柿本人麻呂(カキノモトノヒトマロ)

大意・ 遠くの海の沖から寄せては返す波。その波間に揺れる荒磯に打ち上げられて、その磯を枕にして貴方は眠るように横たわって死んでいることです。
解説・ 行路死人と言われて当時は、旅の途中行き倒れになって埋葬されることもなく、死んでいる人が多く見られました。
この歌は、香川県沙弥島(今は埋め立てられて坂出市と陸続き)の海岸の岩石の間に横たわる死人をみて、「ああ、家がわかったら知らせてあげたい、奥様が知ったらこうして放ってはおけないだろうに…」と心からその死に人を悼んで詠んだ長歌のあとの反歌二首の一つです。

さて、大陸では618年隋に代わって唐(〜907年)が建国し、663年には白村江の戦いで新羅と結び日本軍を大敗させ、667年には高句麗を滅ぼします。
唐の大帝、高宗はしかしやがて病に倒れ683年55歳で死亡、あの悪名高い、皇后の則天武后が政権を握ります。
柿本人麻呂の歌は、国際情勢がこうした激しい動乱期のなかで、日本固有の政治文化を高めようとした(?)天武、持統朝に咲いた大輪の花と言えるかもしれませんね。

カテゴリ:ニュース・その他

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