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よくあるご質問

倭人伝に書かれている文字の字義

先日、倭人伝は誤訳されているとの説を紹介したが、従来の通説と大幅に意味が変る所を、具体的に幾つか紹介する。

その前に、「転注文字」の説明をする。
転注文字とは、ペアとなっている二つの文字の一方の字義の範囲を限定し、他方の字にはそれ以外の総ての字義があるとする。
即ち、二つの文字を使い分けることにより、夫々の文の意味する所の違いを明らかにする用法。(次に「より」と「いたる」の2例を示す)

自(より) = 鼻也。始まり。倭人伝では海路を寄り道しないで直行するルートを示す。

従(より) = 随行也。「乍行乍止」(〜を繰り返す)倭人伝では陸路を途中立ち寄りながら行くルートを示す。
(人の供となって従い行くと言う意味は持たない。)

至(いたる) = 鳥飛従高下至地也。鳥が高所から順次下って(途中で舞い上がらないで)地に着くこと。(着いた所は終着点)

到(いたる) = 至也。即ち「至」の本義として意味する上記以外の全ての至である。(転注文字であることを言う)



従郡至倭・・・郡より倭に至る道筋は何通りもある。

?東南陸行五百里、到伊都国。・・・伊都国は終着点ではなく、此処から各方面に行くことになる。

東行至不彌国百里。・・・伊都国から東へ百里行くと不彌国に着く(このルートの終着点)。

?南至邪馬台国。・・・郡から南へ水行10日、陸行1月で邪馬台国に着く。

?南至投馬国、・・・郡から南へ水行20日で投馬国へ着く。

?自郡至女王国萬二千余里。・・・郡から女王国へは1万2千余里ある。

この読み方をすると、帯方郡から倭国(又は女王国)へのルートは上記?〜?の4通りあることになる。

女王之所都。・・・康煕字典では通説の通り、女王の「みやこ」であるが、説文解字によると、「都」の字義は、”王の二代前の王の位牌を安置する廟がある邑”であるから、此処には現在の王はいないことになる。即ち邪馬台国は先王が居た所となる。

「行」・・・方位語に接続して使われる場合、ここで一連の行程が終わることを意味する。行には止まるの意を含む。

「始度」・・・×初めて渡る、 〇渡ることによって、

「次」・・・その次ではなく「宿継ぎ」である。東海道五十三次の「次」である。

「今」・・・現在より少し前の過去を言う。

「當」・・・「まさに」ではなく「底」(倭の道里を計る基準)である。弁当箱の當(弁は蓋、当は蓋の下(底))である。

「録受」・・・記録して受け取るではなく「目録通りの物を受け取る」である。

「装」・・・太守に付く「身支度」のことである。

「封付」・・・着任の意。

「仮」・・・貸し与えるの意、官職を与える義(任命する事を言う)。

「拝仮」・・・天子より官職を拝命されることを言う。

「仮授」・・・仮に預けるではなく、官品を添えて任命する事を言う。

「付郡」・・・郡を与える意。

「不和」・・・和せずではなく「承認しない」である。倭女王と狗奴国男王共に太守「王キ」の到官を承認しないとなる。
「和」の本義は応諾、呼応、承諾である。
「到官」の「到」は転注文字として「至」と区別して用いられている。即ち終着点ではない意が含まれている。

「相攻撃状」・・・「攻伐」ではなく女王も男王も揃って太守の到官を詰(ナジ)っていることを説明。(狗奴国と戦っているとは書いていない)

「檄」・・・召し出し文書(召書)。

「邪馬壱国」・・・「ヤマイーコク」台の発音は「Yi」で壱と同じ。後漢書では「台の“旧字”(Yiとは読まない)」で書く。おそらく原本は「邪馬台国」であったろう。

「制詔親魏倭王卑弥呼帯方太守。劉夏遣使送汝大夫難升米、」
・・・親魏倭王卑弥呼を帯方太守に制詔すると読む。そして劉夏が使いにより送らせた」となる。句点の位置に注意。

卑弥呼に続いて登場する人物(劉夏)の肩書きは省略されることが多い。
「制詔」=叙勲

元の倭人伝を読みながら字義を対比しないと、理解し難いかもしれない。

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