趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

「国宝 ひこにゃん城」への旅

初秋の彦根城は「にこにゃん」人気も手伝って大層な賑わいでした。
先ずはその「ひこにゃん」・・・!それ程興味は無かったのですが「実物?」を見ると流石「ゆるキャラ界の総帥?」と言われるだけあって・・・その「ゆるさ」は秀一!緩慢かつ最小のその動きに「まんまと」魅了されてしまいました。
その言動に共感を覚えていたみうらじゅん氏が「ゆるキャラ」と命名して注目していたのは知っていましたが、これ程インパクトがあるとは思ってもいませんでした。
さて、彦根城です。流石国宝・・・、それほど大きなお城では無いのですが、観光の為に再建されたお城と違って、やはり重厚な趣のある姿でした。

彦根と言えば、何と言っても井伊大老ですね。
日米修好通商条約を締結させた事が攘夷派の怒りをかい、その急先鋒の水戸藩の侍に桜田門外で惨殺された事は誰も知っている事実です。

維新の歴史の中では、不平等条約を受け入れ、それに反対する勢力を容赦なく獄に送った事で、「ヒール」として扱われる事もある人物です。
但し、歴史が科学(社会科学)であるなら、別段そこにヒーローやヒロインを作り出す役割は無いわけで、そこに必要な事は客観性だけでしょう。
そこで、彼が締結した、日米修好通商条約について考えてみたいと思います。

確かに、裁判権をアメリカ側に認める(領事裁判権=治外法権)、関税自主権が無い等、不平等と言えばその通りなのですが・・・
治外法権について言えば・・・、元々、法治国家としての裁判制度や法制が未整備の日本に、裁判権云々を主張する権利が有ったか否か?これは、米側の立場を考えれば、当然と言えるものかも知れません。
関税自主権については・・・、勿論、いきなり「完全な自由貿易を・・・!」と言われれば、日本などひとたまりも無いのですが、低率とは言え、食料・建材・漁具など5%、それ以外の多くのモノは20%、酒類は35%と・・・、一定の関税を認めさせていたのは評価できるのでは無いかと思うのです。

一方、大きな成果は・・・、東京・大阪への宿泊は認めたが居留は認めなかった点、また、外国人の開港地から約10里以上への外出は認めなかった点が挙げられます。
「これが大きな成果?」と、思われるかもしれないのですが、この時代、日本の多くの藩では、独自の産業奨励を行い、世界に誇れる・・・、例えば陶器・磁器・漆芸・織物・染色等々の工芸や商業作物の生産が行われたわけで、それらの生産現場が外国人の目に触れない状況にあったと言う事は、とても大きな事だったと思うのです。

勿論、通商条約であるので、一番に、米国との通商による成果(弊害も勿論ですが)も認めるべきでしょう。

また、「清国が悩まされていたアヘンの流入を防止する為には、まずアメリカとアヘン禁輸の条約を結んでしまうべきだ」と言うハリスの提案を受け入れた事も、正当なものと評価すべきでしょう。

井伊 直弼・・・、幕末の動乱に翻弄されながらも、一定の道筋を開いた人物と言えるのではなかいと思うのです。

カテゴリ:旅行・お出かけ

コメント

コメントはログインすると見られるようになります。