切符売りの少女

友人がはるばるメキシコからやってきた。

やってはきたが僕はいまだに無職。無職で徒食と語呂合わせだけはいいが、これに無銭という文字が重なって、どうにもこうにもならない状態であった。

友人というのは実は僕と同じ船で日本から太平洋を渡った人間であるが、彼はアメリカで下船、一方の僕はパナマまで乗ってそこで下船した。下船した場所によって、それからの人生がそれぞれ始まったわけだが、アメリカ下船組の方が、明らかに南米組を凌駕していたことは間違いがない。当時アメリカでの最低時給2ドル弱に対し、南米や日本でのそれは十分の一以下、南米で一月汗を流して働いて貰った賃金はア