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よくあるご質問

梅雨時の長門・石見ツアー

https://smcb.jp/albums/3810394

先月、世界自然遺産の小笠原に行けたので、嬉しくなって、次の旅行先に、もう一か所、日本の世界遺産の中でまだ行ったことないところ、石見銀山に行ってみたくなった。妻に話すと、「銀山なら、兵庫県の生野銀山に行ったし、去年6月に佐渡の金山の坑道にも見学に行ったし・・・」と興味を示さない。関連する文献を図書館で見ると、石見銀山から採掘された銀は世界の銀の3分の1を占めたときもあるそうだ。朝鮮・中国・ヨーロッパとの交易に使われている。江戸時代の朝鮮通信使の記録を見ると、朝鮮から江戸の将軍・将軍世子・老中に対する贈答品として大量の高麗人参がもたらされ、日本からの礼物としては大量の銀が与えられた。1617年の秀忠将軍の時を見ると、三使(正使・副使・従事官)に各500枚、訳官二人に各200枚、31人の随員に合計500枚などと記録されている。朝鮮王朝では日本から得た銀を中国との交易に使用したもののようである。長崎でのオランダと中国との交易にも大量の銀が使われたが、これらの銀の多くが石見銀山から採掘されたのであろう。こうしてみると、石見銀山は東アジアひいては世界に流通したのだった。
 石見銀山は観光地としてはそんなに人気があるところでもなさそうだ。旅行社のツアーで石見銀山が見学地に入っているものがあまりない中で、珍しく一つのツアーを見つけた。一泊2日のツアーだ。梅雨時なので、あまり楽しめないだろう、と思いつつ申込みした。

 羽田空港発7時40分のスターフライヤーズの便で北九州空港へ着き、貸し切りバスで関門海峡大橋を渡った。10年以上前に、レンタカーでここをわたったことがあった。  最初に行ったのは角島大橋だ。今にも雨が降りそうな暗い空の下でモノトーンの景色だった。2ケ所目の元乃隅稲成神社だ。薄日が差して連なる赤い鳥居が目立っていた。一番上の鳥居の上に賽銭箱があるのだそうで、コインを投げる人たちの姿が珍しかった。

 3ケ所目の見学地は萩市の松下村塾だ。46年前、妻と二人で新婚旅行に来た時とほとんど変わらないが、部屋の中に主要な門下生の写真が並ぶ中に、最近、アメフト部の不祥事が問題になっている日本大学の創設者・山田顕義の写真があるのに気づいた。彼は吉田松陰の最年少・14歳の門下生だった。吉田松陰から漢詩を贈られて期待されたとか。
高杉晋作のもとで第二次長州征伐軍との戦いに活躍、戊辰戦争に活躍、岩倉使節団として西欧歴訪、ナポレオン法典にであい、法律整備の重要さを知り、法律の立案に努め、各内閣で司法大臣を務め、伯爵に叙せられる。西郷隆盛は彼について、「あのこわっぱ、用兵の天才でごごわす」と評したそうだが、皮肉なことに西南戦争でもその用兵の才を発揮したのだった。大河ドラマなどではあまり見かけなかったが、日本の近代化に尽力した人物の一人だったのだ。

 萩城下町の散策でも46年前と変わらない印象だが、当時は若くて感受性が鋭敏だったためか、新鮮な感じがしたものだ。当時は司馬遼太郎の歴史小説に親しみ、幕末の長州藩士らに好感をもっていたこともある。最近は井沢元彦の「逆説の日本史シリーズ」で幕末のことを詳しく読むと、頑迷な尊王攘夷運動にあきれてしまった。薩摩藩では薩英戦争によって、一挙に攘夷論の不合理性に気づき藩論が開国・討幕へと変わるのに対して、長州藩では馬関戦争に痛い目をみても、まだまだ攘夷から目覚めず、藩内で異論の者の存在を許さず暗殺が横行している。異論の者に正々堂々と決闘を申し込んで対戦するならまだしも、闇討ちにするのは武士として卑劣だ。井上馨が滅多切りにされ、瀕死の重傷を負ったことは知っていた。維新後に大村益次郎の暗殺も犯人が不明だ。名島名左衛門暗殺も、自分たちの同僚で藩には不可欠の人材でも暗殺してしまう愚かしさがわかる。

https://enokama.exblog.jp/20348826/
(中島名左衛門の暗殺)

 高杉晋作の像と久坂玄瑞の像は今回初めて見た。
 ホテルは萩グランド・ホテル天空というところだった。温泉だったのが意外だ。夕食はフグづくしの料理だった。

 二日目は雨降る中、津和野へ向かった。霧に煙る津和野を散策、46年前に妻と歩いたメイン・ストリートの掘割には当時と同じく鯉が沢山泳いでいた。ちょうど菖蒲が満開だった。46年前に登った山城に今回登るとしたら、腰痛のため一人、街に残してもらうつもりだったが、幸いツアーでは城跡に登ることにはなっていなかった。町役場はかつての津和野藩亀井家の家老の屋敷だった。歴史を感じさせる門構えの木造の役場では別に職員はちょんまげ姿で算盤片手に事務を執っているわけではないそうだ。

 最後の見学地・石見銀山は「石見銀山遺跡とその文化的景観」として2011年に世界遺産に指定された。今回は間歩(坑道)には行かず、世界遺産センターで石見銀山の歴史を学び、模擬坑道を体験した後、大森代官所跡から石見銀山公園までの古い街並みを傘をさして各人のペースで散策した。自由時間は1時間ほどだった。雨が降っていなかったら、電動アシスト自転車を借りて間歩の入り口まで往復することもできたろうが、今回は27人の参加者の誰も間歩までは行かなかった。腰痛持ちの私も無理せず、この世界遺産のうち、「その文化的景観」のみの見学でよしと妥協することになった。

 下の写真
1:元乃隅稲成神社
2:松下村塾の孝行竹
3:旅の終わり・石見銀山公園

カテゴリ:旅行・お出かけ

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