一乗谷朝倉氏遺跡

< 一乗谷朝倉氏 資料館 >
朝倉は、一乗谷の低地に館を築き、危ない時は、山上の城に逃れ防御体制を取った。1471年~1573年の約100年間、この地を支配した。谷は、東西約10kmあり、1万人くらいが住んでいたと推定できる。
朝倉氏の本貫は、但馬国養父郡朝倉であり、ここから分かれて越前に移った朝倉は、越前守護斯波氏に仕え、甲斐氏、織田氏、に次ぐ、守護代第3席であった。越前朝倉は、広景のあと、室町後期になり、朝倉孝景(1428~1481)は、内紛で一乗谷の城を捨て大野六坊に逃れることもあった。家法として、朝倉敏景17ヶ条を定めている。(孝景の俗伝が敏景)