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聖書の言葉は旧新約聖書・新改訳聖書第三版(著作権・新日本聖書刊行会)によります。

2012年10月21日

「神の全ての武具を取りなさい」
エペソ書連講(28)

竿代 照夫 牧師

エペソ人への手紙6章10-18節



[中心聖句]

13 「邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
(エペソ6章13節)







聖書テキスト



10 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
14 では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、15 足には平和の福音の備えをはきなさい。16 これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。17 救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。18 すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。



[前回] 強められなさい(6:10)


「強くあれ」ではなく(弱いものなので、そのことを自覚しながら)主の力によって「強められなさい」という受け身の強調が特徴的とお話ししました。


[今回] 神の武具で武装しよう


A.神の全ての武具を身に付ける


強められるための具体的な方法として、パウロが示唆しているのは、「神が用意していて下さる全装備を受け取りなさい」ということです。一つ一つの装備に入る前に、全体的なコメントをします。


1.「一部分ではなく全部」


兵士が身に付ける装備においては、99%良ければ、まあいいだろうということはありません。その1%の不備から敵にしてやられてしまうことがあるからです。北欧のジークフリート伝説を思い出します。龍の血を浴びれば剣の歯に耐えうる強靭な皮膚が与えられるはずだったのですが、その血を浴びた時、肩に菩提樹の葉が一枚貼り付いていて血を浴びられず、そこが弱点となって、最後には敵に打ち負かされるという話です。私たちは敵の力を軽視してはなりません。サタンは非常に巧妙に、しつこく、ある時には天使の装いをもって近づき、神の業を妨げようとします。


2.「邪悪な日に備えて」


「邪悪な日」とは、サタンが大手を振って活動している今の時代一般をさすと同時に、その勢いを格別に強化して私たちに立ち向かおうとしている特別な状況を指しています。私たちの人生には、サタンが集中的にその攻撃を行って、信仰者を打倒し、主の業を妨害しようとする危機的な時が訪れます。普段の時に勝って、その攻撃に対して白旗を挙げる誘惑が特別に強い時と言う者があります。私たちはその攻撃に対して、目を覚ましていなければなりません。


3.装備は「取るもの」


さらにその装備は自分で鍛えて身に付けるものではありません。神が既に備えていて下さいます。私たちは、「ありがとう」と言ってそれを受け取ればよいのです。私たちが武器庫に行くときに、全部の装備が備えられており、私たちはそれを受け取るだけで良いのです。

話が少し逸れますが、ローマ時代の軍隊制度について書かれた本の中に、ローマ正規兵はローマ市民の自発的参加によるものであり、しかも、装備は自弁であったと記されていました。つまり、重装備を行なえる資力のあるものだけが正規兵で、他は、軽装で軍隊の周辺部分(運送、工作、医療など)を担ったそうです。興味深いことです。話を戻して、私たちの装備は、「神の武具」です。私たちが受け取りさえすれば、どんな武器でも手に入れられるのです。冬の松原湖でリトリートをしたとき、スキーを経験しました。何の準備もなかったのですが、すべての装備が倉庫に備えられていました。私たちは、そこに行って、自分に合ったものを取ればよかったのです。


4.装備のイメージ


パウロは、その装備について、彼の周りで番をしていたローマ兵士の装備をモデルとして描いています。同時に、旧約聖書、特にイザヤが好んで用いた比喩も受け継いでいるものと思われます。例えば、「主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。」(イザヤ59:17)のような句を挙げることが出来ます。14節からイラストを見ながら、楽しく考えていきましょう。


B.装備のリスト<イラスト①>






1.真理の帯(14節b)<①-1>:神の真実に応える私たちの真実さ


「腰には真理の帯を締め・・・」



この場合には、「福音の真理」という意味合いよりも、真実さと捉える方が自然と思われます。真実さをもってそのご性質とされる神の前に自分も真実である、という意味での真実さです。ベルトを締める腰は、力の入り所です。彼は、腰に力を入れることで、全身の力を集約できるのです。」ですから、ベルトは男性の服装の中で、一番大事です。ベルトが締まらないと全体が締まらないように、真実さという私たちの姿勢が定まりませんと、私たちのなすことが全て虚しくなります。


2.正義の胸当て(14節c)<①-2>:神の与え給う義


「胸には正義の胸当てを着け・・・」



当時の胸当ては、動物の皮に金属を張りつけたもので、敵の攻撃から心臓を含む胸を守るものでした。キリストによって成し遂げられた義、私たちに賦与される義が私たちを敵の弓矢から守るものです。パウロは別な手紙の中で、「神に選ばれた人々を訴えるのはだれですか。神が義と認めてくださるのです。罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:33-34)と啖呵を切っています。私たちを訴えるものは、サタンでしょう。或いはその手先となって私たちの粗探しをする人間たちでありましょう。しかし、どんな訴えがなされようと、私たちはキリストの義を胸に着けている限り安泰です。


3.平和の福音の靴(15節)<①-3>:福音宣伝の足


「足には平和の福音の備えをはきなさい。」



この句は、「良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。」(イザヤ52:7)というイザヤの預言を思い出させます。ローマ兵士の軍靴は、地中海世界そしてヨーロッパを征服する軍靴でした。しかし、彼らは征服した地域にパクス・ロマーナという平和と秩序を齎しました。私たちの軍靴は制服の軍靴ではなく、キリストの平和を宣べ伝える足を支える靴です。


4.信仰の大盾(16節)<①-4>:主に対する揺るがぬ信仰


「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」



ローマ軍において、攻撃と防御を兼ねた戦闘方法は、百人隊(ケントュレア)毎の密集隊形です。百人が一人の人間になったかのように、大きな盾(文字通りにはドア)をもって壁を作り、一体となって進軍するのです。敵は矢を放っても跳ね返され、ひるんだ隙にその隊形から槍衾が出てくる、という形ですから、防ぎようがありません。火矢でさえも、陣形に火を移す効果を発揮できません。盾にかわされて陣形の外で落ちて消えてしまうからです。陣形の上に来たものも、盾を上向きにすることで防ぐことが出来ます。この一糸乱れぬ陣形がローマ軍の強さでした。

サタンが放つ火の矢、それは疑いという矢であれ、失望という矢であれ、誤解中傷という矢であれ、主に信頼しているものの魂を揺すぶるものではありません。詩人はこう歌いました。「その人は悪い知らせを恐れず、主に信頼して、その心はゆるがない。その心は堅固で、恐れることなく、自分の敵をものともしないまでになる。」(詩篇112:7-8)と。「信仰の大盾」を取りましょう。


5.救いのかぶと(17節a)<①-5>:恵みによる救い


「救いのかぶとをかぶり・・・」



先ほど引用したイザヤ59:17に、文字通りこの表現があります。ただ、この時は、主ご自身が救いのかぶとを(救いを与えるものとして)被っておられると記されています。エペソの表現は、信仰者が(救いを受けるものとして)被るのです。聖書の語る救いは、人間が死に物狂いの努力で獲得するものとしてではなく、神の恵みの賜物として「頂く」物です。「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」(2:8)とある通りです。


6.神のことばの剣(17節b)<①-6>:霊感によって与えられた神の言葉は敵を打ち破る


「また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」



1-5までの装備は、防御的なものでした。この項目だけは攻撃的です。神の御言は御霊の霊感によって与えられたものです。それは、剣のように、敵を打ち破ります。

主イエスは、荒野でサタンの誘惑を受けたとき、全て「御言をもって」それを打ち破りました。石をパンにせよといわれた時、「人は、パンだけで生きるのではない、人は主の口から出る全てのもので生きる」(申命記8:3)と撃退されました。神殿の尖塔から身を投げよと誘惑された時「主を試みてはならない」(申命記6:16)との言葉で対応されました。自分を拝めというサタンの最大の脅しに対しては、「主に仕えなければならない。他の神々・・・に従ってはならない」(申命記6:12-13)と、完全にサタンを打ち負かしました。私たちも、御言を読み、思い巡らし、覚え、活用するものでありたいと思います。


7.御霊による祈り(18節)


「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。」

祈りは、もう一つ大切な武具ですが、これは実際の武具のどれかと結び付けられてはいません。いずれにせよ、大きな項目ですので、次回の学びと致します。


おわりに:6つのチェックリスト


今日は6つの武具について述べました。それをチェックリストのようにして、私たちに当てはめてみましょう。

1.私たちは真実、全き心で主に仕えているだろうか?

3.私たちは、平和の福音を誰かに伝えているだろうか?

2.私たちは、自分の義ではなく、キリストの義を頂いているだろうか?

4.私たちは、信仰をもってあらゆる火矢に対応しているだろうか?

5.私たちは、キリストが与えて下さる救いを単純に受け取っただろうか?

6.私たちは、神の御言を真剣に学び、活用しているだろうか?

主が与えて下さる、この全ての武具を身につけて、今週も戦わせていただきましょう。


お祈りを致します。





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