趣味でつながる、仲間ができる、大人世代のSNS、趣味人倶楽部(しゅみーとくらぶ)

よくあるご質問

大和朝廷の功績

31日~2日、新横浜からのぞみに乗って、佐賀の吉野ケ里遺跡に行ってきました。

吉野ケ里遺跡は、主に漢人による「環濠集落」を再現したものでした。環濠集落とは、土着の縄文人を殺戮し、土地を奪い、稲作をする部分と居住区域を大きく囲い、縄文人の報復や他の漢人による搾取を防ぐものと考えられ、見張り台がいくつも用意されたり、兵士が待機する場所があったりと・・・それは厳重な、そして物々しい囲いでした。


殺戮をまぬがれた縄文人は、小作人のような形で、収穫物の半分等を環濠集落に納めて、生命の安堵をされたのではないかと想像しています。

現在の韓国人には縄文人のDNA(D型)がほとんど残って
おらず、(日本人は30%程度)漢人によって、縄文人はほとんど殺戮されたと考えられます。だから、日本にいた縄文人の方が、まだ幸せだったと考えられます。

そして邪馬台国の末裔の大和朝廷が日本にやってきて、環濠集落を開放したことによって、またさらにその後の律令制度によって、漢人、満州人、そして縄文人が分け隔てなく暮らせるようになったと想定しています。


大和朝廷の(一派を含む)足跡は、前方後円墳で分かります。南朝鮮~北九州~中国~近畿へと、前方後円墳は権威を示すものだったのでしょう。環濠集落の後地に作られていることも多く、吉野ケ里遺跡にも3個あるようです。

今、日本人が和の精神で楽しく暮らせているのは、漢人・満州人・縄文人を差別することなく、大切にされた大和朝廷の功績が大きいのです。

その末裔の平成天皇も、国民のためによく尽くされました。感謝したいと思います。

カテゴリ:アート・文化

コメント