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よくあるご質問

天皇家のルーツは縄文人

 おりしも、韓国との関係が冷え切っておりますが、相手がいかに悪いかを言ったところで、互いに負けてるわけにはいかず、報復合戦が続くので、さらに冷え込むことになります。

 もう一度、太古の歴史をひもとき、根本的な解決の糸口をさぐるべきと思い、筆を取りました。

 1.5千年以上前は、朝鮮半島も日本も、もともと縄文人が住んでいたと考えられます。(縄文式土器が朝鮮からも見つかっている。朝鮮半島経由で日本に定住した人が多い)

 2.BC200年頃に、中国漢の人口が爆発的に増えて、極東への侵略が始まりました。まず、朝鮮半島に大部隊を送り、4郡を設置しましたが、その時に多くの縄文人が殺戮されたと想定しています。(現代の韓国人には縄文人のもつD型遺伝子がほとんどない。また殺戮の証拠はないが、米大陸でインディアンが殺戮されたのと同等のことが起こったと想定されます。)
  漢はいとも簡単に朝鮮半島を席捲できたので、それ以降は小部隊を朝鮮南部や日本全体に展開し、水稲稲作をはじめるとともに環濠集落(土地を奪われた縄文人の報復を防ぐ目的)ながら、侵略したと考えています。

 3.しかしながら、インディアンがライフルで武装したように、南朝鮮に押しやられた縄文人は、漢字を学び最新鋭の武装をしたと考えられます。それが邪馬台国になり、朝鮮南部と対馬、壱岐、北九州の東側と山口県の西側を支配したと考えられます。(だから、北九州の東側と下関辺りには環濠集落の跡が見当たらない。)それが、魏志倭人伝で報告されたと想定しています。

 4.その後、好太王の碑で書かれたないようや、宋書の倭の五王の話は、朝鮮半島の邪馬台国の末裔、すなわち大和朝廷の話であると考えられます。その証拠に大和朝廷の権威の象徴である、前方後円墳が南朝鮮でもみつかっています。
  しかしながら、高句麗攻めで敗れたあと、内部抗争などもあり、新羅の侵攻により百済とともに日本へ敗走したものと考えています。
 5.大和朝廷は日本でも勢力を拡大・統一に乗り出し、環濠集落を開放し、漢人、満州人(高句麗、百済、新羅人等)と縄文人とを分け隔てなく扱い、律令制度を導入し、公平で安全な建国をされたので、大いに尊敬に値しますし、朝鮮半島の出身ではあるが、ルーツは縄文人と考えられます。

カテゴリ:語学・国際交流・社会貢献

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