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ビル・エヴァンスのドキュメント映画

ジャズピアニストBill Evansの生涯をつづった映画、「タイム・リメンバーズ」を観ました。

以前ビル・エヴァンスに関する本を読んで彼の生きざまをだいたい理解していたのですが、今回の映画を見て更に彼の歩みが理解出来ました。

まず彼が作曲した数々の作品を見ても、何よりもジャズピアノに革命をもたらしたその奏法が彼が音楽史に残る天才で有る事を示しています。

そんな天才ビル・エヴァンスの生涯は決して恵まれたものではなく、むしろ悲劇的だったと言えます。

クラシックの技法もしっかり身に付けたビルがジャズの世界で評価され始めた頃にその才能を見抜き、また彼の音楽性を好んで自分のグループに参加させたのはジャズ界の帝王ジャズの歴史そのものとも言えるトランぺッターのマイルス・デーヴィスでした。

マイルスとビルは互いに刺激しあいながら、新しい時代のジャズを創造して行きました。

オール黒人のマイルスのグループで唯一白人だったビルは、ライブなどでも観衆の黒人達から逆人種差別も多く受けたようです。

こういった環境も一つの要素だったのか、彼の天才的なひらめきにプラスと感じたのかビルは麻薬の世界にはまって行きました。

マイルスのグループを卒業後にビルは、理想的なメンバーに恵まれて最上のトリオを結成します。

それまでのジャズピアノトリオではあくまでもピアノが主役でべースとドラムスはピアノの伴奏者にすぎなかったのですが、ビルはベースとドラムスをピアノと同等の立場としてとらえ三者で演奏を通じていわば会話をするような新しいスタイルを確立しました。

このグループの成功理由には何といっても天才ベーシストであるスコット・ラ・ファロの存在が大きかったわけです。

4枚のレコードを残しこのトリオが頂点を迎えた直後に、ベースのスコット・ラ・ファロは1961年の夏に25歳の若さで交通事故死してしまいます。

理想的なベーシストを失ったビルは大きく落ち込み、しばらくは回復できずまた麻薬の量も増えました。

その後演奏活動を再開したビルはスコットに変わるベーシストを探しつつ、その演奏にはますます磨きがかかります。

一方ビルには、長年のパートナーがいました。
彼女はビルのすべてを理解し許し支えて来て、内縁の妻として10年来同棲していました。

ところがビルが地方遠征で出会ったウエイトレスに一目惚れしてしまい、この女性をニューヨークに連れて帰りました。
これにショックを受けたパートナーの女性は、ニューヨークの地下鉄に飛び込んでしまいました。

もちろんこれにはビルも大きなショックを受けたのですが、やがてこのもとウエイトレスの女性と結婚して彼が長年欲しかった男の子も授かりました。

束の間の幸せをつかんだビルでしたが、奥様にこっそりと続けていた麻薬がバレてしまい夫婦関係に亀裂が生まれやがて破局を迎えます。

孤独なビルの心の支えとなっていたのは、ビルの兄のハリー・エヴァンスでした。
ビルの有名曲「ワルツフォーデビ―」のデビ―は、このハリーの娘です。

幼い頃からビルを可愛がり、いつもビルを気にしていたハリー。
音楽教師をしていたハリーも不治の病に侵され、悲観のあまり自殺してしまいます。

すべてを失った晩年のビルは、生きて行く意味が見いだせなかったそうです。

やがてビルも病魔に襲われますが周囲のすすめに耳を傾けず医療機関での治療を断り、最後まで演奏活動を続けました。

彼のこの行為は、「時間を掛けた自殺」とも言われています。

天才の凄まじい生きざまがよくわかる、1時間半足らずの映画でした。

ビル・エヴァンスは私の長いジャズ歴でも、その基本に位置付ける人です。
昔昔私が高校生の頃、ジャズと言う音楽が何かカッコよく感じて聴こうと努力しました。

当時マイルスやロリンズ、コルトレーンなどのレコードを買って一生懸命聞いたのですが、今ひとつ理解できない。
ジャズって難しいと諦めかけた時に出会ったのが、ビルのレコードでした。

彼のピアノがごく自然にスムーズに私の中に溶け込んで、ジャズの高い壁をついに乗り越えたと感じました。

それ以降それまで外側からしか見られなかったジャズが、内側から感じる事が出来るようになりました。
これを機に、色々なジャズを聞き始め私のジャズに対する興味が無限大に広がって行きました。

そういった意味でもビルは私の生涯の趣味を与えてくれた、大恩人だと思っています。

カテゴリ:アート・文化

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