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よくあるご質問

百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に

 今週ュースに「百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に登録へ」が載る。

 文化庁は14日、日本が世界文化遺産に推薦「百舌鳥・古市古墳群」について、登録の可否を事前に審査する国際記念物遺跡会議イコモスが、ユネスコに「登録が適当」と勧告したと発表。
6月30日~7月10日にアゼルバイジャン開催ユネスコ世界遺産委員会で正式決定し世界文化遺産として登録される。
 イコモスが登録勧告場合、同委員会認定可能性が極めて高い。昨年6月決定「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」に続き、文化遺産として国内19件目。
 同古墳群は、古墳時代の最盛期4後半~5世紀後半の政治や文化の中心地。大陸航路の発着地大阪湾に接する平野上築造され、百舌鳥域に大山古墳仁徳天皇陵23基、古市域(*1)に応神天皇陵古墳26基の古墳が墳形状態で分布する。
 周辺から朝鮮半島と同特徴土器が発見され深い交流が伺われ2017年7月に文化審議会で文化遺産推薦決定。18年1月に政府が推薦書提出しイコモスが現地調査を進めた。
 イコモス勧告は世界遺産記載が適当か否かの判断で;
1)記載登録適当
2)情報照会追加情報を照会必要ある
3)記載延期より綿密な調査推薦書改定が必要
4)不記載登録は不適当―の4種類。
 1972年のユネスコ総会採択世界遺産条約に基づき、普遍的な価値がある遺跡や歴史的建造物、自然環境を人類全体の財産保護制度。
2018年7月時点で文化遺産845件・自然遺産209件・複合遺産38件の計1092件登録。

卑弥呼後継者弥生時代の巫女・壱与がAC266年に晋に使者送り後約150年の間、中国史書に倭に関する記述がみられない。中国史書に再び日本はAC413年東晋王朝に倭王が使者送った。
「倭の五王」日本代表者が約一世紀続けて中国に使者送りが複数の書物に記載される。5世紀前後日本使者記録は;
413、421、425、430、438、443、451、460、462、477、478年の11回内9回は倭王朝貢だとされる。倭の五王は中国歴史書に登場倭国の五王;讃・珍・済・興・武指す。堺市堺区大仙町日本最大の前方後円墳。北側反正・田出井山古墳、南側履中・石津ヶ丘古墳と共に百舌鳥耳原三陵、その中陵・仁徳天皇陵として宮内庁管理。前方部南向墳丘は;
全長486m後円部径249m高さ35.8m前方部幅307m高さ33.9mの規模で3段築成。三重濠、外濠は明治に掘直され葺石と埴輪・埴輪には人物(女子頭部)や水鳥・馬・鹿・家等出土。最近調査で、造出須恵器甕が出土、古墳造年代資料として話題に明治5年(1872年)に前方部で竪穴式石室に長持形石棺が、刀剣・甲冑・ガラス製壺・皿出土。詳細絵図記録があり、甲冑金銅製で日本最大前方後円墳にふさわしく周囲陪塚古墳10基以上。仁徳天皇陵とされるが、日本書紀の履中・石津ヶ丘古墳より後で築造がわかる。全周2.8Kmの周遊路あり。
[以上]

 大仙仁徳陵が倭の五王の珍か済に相当するのは間違いなかろう。令和の出典である万葉集の第1冒頭歌が雄略天皇で、倭の五王の武であることは異論無い史実だ。
その雄略天皇は五王の末である武であり、関東の稲荷山古墳や熊本船田山古墳から出土した若武尊である。
北魏より471年、"安東大将軍百済新羅任那倭国王"をけた。難波の津から北魏へ史を413年~451年の間6回派遣したのが古墳主の仁徳帝だろう。
古墳規模を秦始皇帝をイメージしたのかもしれない。
これに150年遡る魏史倭人伝の266年に倭使節は倭国王の卑弥呼であり、最初の巨大前方後円墳の箸墓と云われる。奈良巻向の真東に位置する。
大和纏め出雲・播磨・吉備・周防・那・伊都・熊蘇と束ね、任那・百済・新羅に迄踏入れたのは、仁徳と雄略天皇しか居ない。
明治~昭和の遡る日本列島から1500年前に日本から飛び出し計画した初めての人物だ。今回世界遺産になった大仙仁徳陵は、日本統一なり1600年中で最初の第一期黄金時代の遺産だ。さて明治~昭和の遺産に1000年後世界価値ある遺産は何か?

日本史も
古代史部分
その知見
孤独の夜の
睡眠本に

日本史の
古代史本は
眠り為
孤独を癒す
最適薬

5世紀は
日本最初の
大陸に
羽ばたき開始
国の成立

5世紀は
日本が触れた
文字文化
帰化人大挙
記録の文化

日本史は
仁徳陵を
調査せば
古代史部分
明快結果

<仁徳大仙陵含む百舌鳥・古市古墳考>


*1;古市古墳群は②で
  ①266年直後…奈良箸墓
  ②300年代…古市古墳群
  ③400年代…百舌鳥〃群
に内陸→海岸への位置付けされる。一部定説では、衷哀天皇後の神功皇后に続く崇神王朝説とか江上の騎馬民族説の根源になっている。これも陵墓発掘すれば明らかにできる。
⇒韃坦ソバなど、モンゴルから満州にかけての高句麗構成していた韃坦族の痕跡を示唆しているかもしれない。
⇒旧関東軍が大興案嶺のノモンハン迄出陣したのは、騎馬民族遺伝子だろうか?

カテゴリ:アート・文化

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